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合格者体験談

 「大空の飛び立つ若鷲のごとく思い切り乱舞せよ」という気持ちで皆さんを天空へ解き離します。毎年幾人もの人材を創大へと送り出すたびに思うことですが、「大きく育て」「世界の人材へと育て」と・・・。
 この11ヵ月間共に手を取り合い「泣き」「笑い」「励ましあい」目的はただ一つ創大を目指し頑張ってこられた皆さん方に、唯々頭の下がる思いです。
 創栄館の目指すものそれは人材を見つけて来るのではなく「人材を創る」ただこの一点にあります。今日まで600名近い人材が集まり創大に送り出しました。北は北海道から南は沖縄まで人材の元となる鳳雛が集まってくれました。うれしい限りです。
 今後は、創大で思いっきり自分を磨き社会に貢献する人材となってください。
 尚、指導担当してくれた教師陣に感謝の気持ちでいっぱいです。毎年のことですが、夜遅くまで入試問題を検索し、気が付けば夜明けだったこともしばしばでした。おかげで英語において入試問題50中33問がズバリ的中、一文一句違わず出題されていたのは、さすがプロとしか言いようがありません。受験した生徒たちも「時間を持て余した」といい、終わったときは、合格の確信に満ちていました。担当して頂いた先生大変ご苦労様でした。深く深く生徒に代わり感謝申し上げます。
 

京都府出身 山口 創

僕は小学校の頃から度々創価大学を訪れる機会があり、僕にとってとても身近に感じる大学でした。最初の頃は「行けたらいいな~」くらいにしか思っていませんでしたが、高校2年生の時に「創価大学に行きたい。」と強く思うようになる機会がありました。そのとき僕は勉強を最低限しかしておらず、卓球部の活動にばかり力を入れていました。
ある日、創価大学2回生だった姉が創価大学の卓球部の部長に連絡をとって、僕が練習に参加できるように取り計らってくれました。そして、練習に参加させていただいた中で、先輩方からたくさんのアドバイスや創大に関するお話を聞かせていただき「創大を目指そう」と強く思いました。
 しかし、「行きたい行きたい」と口だけが先走り、勉強は相変わらず最低限でした。そして高校3年になり、焦る気持ちがどんどん増し、夏休みには図書館にこもる日々でした。秋ごろには受験からどうしても逃げ出したくなり、両親に違う進路を相談したりもしました。両親は「あんたの進みたい進路に行き。でも、受験が嫌だっていう理由で進路を変えるなら絶対に後悔する。断言できる。」と言われ、自分と向き合い最後まで頑張ることに決めました。
 そしてセンター試験・全学統一が終わり、本命の一般入試。手も足も出ず試験中絶望したのを覚えています。不合格の通知が届き、自分は勉強していたつもり、あくまでも「つもり」だったのだと気付かされ、悔しさ、怒りなど様々な感情が生じ、親と口論したり、遊びほうけたりしました。自分のこれからのことはほとんど考えておらず、適当に就職しようと思い、履歴書を書き始めたとき、母から創栄館の存在を聞きました。自分の中では就職で固まっていましたが、とりあえず見学に行き、先生から話を伺ったり、みんなが真剣に勉強している姿を目の当たりにして、「やっぱり行きたい」と思いました。あれだけワガママを言い、暴言を吐いていた自分を「頑張ってきいや。ずっと応援してるしな。」と送り出してくれた両親には感謝してもしきれません。
 そして入校し、自分にとって最初の挑戦、英検がありました。英検2級で2200点以上取れば創大の試験で8割以上が確定するという制度を知り、無我夢中で勉強し、友達と面接練習をしました。しかし結果は2198点。2点に泣きました。かなり落ち込んだのを覚えています。
 そんな時、一番支えになったのは友達の励ましでした。やはり、創栄館が他の予備校と違う大きな点は、全員が同じ目標を掲げ一丸となって創価大学を目指すということだと思います。親、先生、友達のおかげで「まだまだこれから。」と前を向けました。夏期講習に入り、夜8時まで授業の日々でした。正直、毎日変わらぬ日々に精神的にしんどくなった時もありましたが、夏期講習が終わったときには達成感と充実感、そして何より自信を得ることができました。
 秋ごろからは目に見えて点数が伸びだしたと共に、教室の雰囲気も緊張感が増していき、より一層気が引き締まりました。今思うと、秋以降は本当にメンタルとの勝負だったと感じます。将来が決まってないことからの不安、本当に自分は合格出来るのかと自信をなくすなど後ろ向きの感情が押し寄せてきて、前向きに考えることに必死でした。
 そんなときでも、やっぱり友達と支え合い切磋琢磨したことで、改めて持つべきものは友だと実感させられました。
 そして冬になり、いよいよセンター試験当日。普段以上の手応えがありました。全学統一、一般入試でも手ごたえがあり、成長したのを改めて実感しました。結果は無事、受験した学部全て合格でした。
正直、この1年は本当に大変だったし、しんどかったです。でも、それ以上に得たものが大きく3つあります。
1つ目は今まで何度か述べた通り「友人」の存在です。仲良しこよしではなく、同じ勝利を勝ち取る仲間であり良きライバルの存在がとにかく大きかったです。
2つ目は「感謝」です。こっちへきて何もかも一人でする生活になり、普段当たり前のようにしてもらっていた家事、事細かく指導してもらえる環境、様々なことに感謝せねばならないと思いました。この恩を少しずつでも返せるように創大で飛躍し、活躍していきたいと思います。
3つ目は「向上心」です。諦めないことはもちろん、現状に満足することなく常にハングリー精神で挑むことで、自分自身成長できたと思いますし、たくさんのことを吸収できたと思います。
最後になりましたが、両親、先生方、友人、地域の方々、そして先輩方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。
この創栄館での経験を糧にまだまだ成長し続け、何かしらの形で恩返しをしたいと思います。1年間本当にありがとうございました!!
 
Winter always turns to spring!

大阪府出身 小宮 悠生

このたび、創価大学法学部に2浪の末、合格することができました。
僕が高校1年の時に妹が関西創価学園に合格して頑張っている姿を見て、僕は世界の人材になりたいと思いました。高3になって創価大学のオープンキャンパスに行ったとき、一人一人が輝いていて、素晴らしい大学だと思い、目指すことを決意しました。
 
しかし、僕の高校生活は部活に力を注いで勉強の方はテスト前にするぐらいで、創価大学の入試を甘く見ていました。その結果、不合格でした。その後、親と話し合いの結果、浪人させてもらうことが決まり、予備校を探しているときに、偶々創栄館を見つけました。そこで僕は合格体験記を見て感動し、親にお願いをしました。1年限りという条件で、下関に送り出してくれました。けれど、僕は英語の基礎がボロボロで行く前に授業についていけるか不安になり、何度も先生方に電話をしました。先生方は優しく、適切なアドバイスをしてくださり、そこで4月~6月は中高の基礎から指導してくださると言われてとても安心しました。
 
4月からは英単語と文法など基礎になるところから始まりましたが、そこで僕は大きな失敗をしました。それは、木本先生が何度もおっしゃっていた「朝と夜の復習」を怠っていたことです。その結果8月の時期のテストでは英語でクラス最下位でした。今振り返ると、この基礎を固める時期は受験の中でもとても大切で重要な時期だと思います。基礎がなっていなかったら、なかなか点数を上げるのは難しいです。
 
10月に僕は初めて英検準2級を受験しました。初めてでしたが、橋本先生のアドバイスに加え、こちらからも質問をすることで点数がだんだん取れるようになりました。合格を勝ち取ったときは自信もつきました。
 
先生に質問をし、分からないところをなくしていくことは大切です。先生に質問をしている人たちはやっぱり成績もとてもすごかったです。
 
入学試験の時期が近づいてくると、不安になることや他の人の成績が気になったりしてメンタルが追い込まれそうになりました。そこは他の予備校にはない朝晩の勤行唱題で乗り越えることを学びました。唱題をすることで勉強もはかどり、勉強→唱題→勉強→唱題のリズムを身体に刻むことができたことは本当に良かったと思います。
 
試験の日はあっという間に来ました。結果は不合格でした。僕はそこで絶望の中にいました。正直その時、先生や両親に申し訳ないと思い、誰とも話したくない状態になりました。
 
僕の敗因は、基礎不足、自信のなさでした。僕は1年限りと言われていたけれど、創価大学に行きたいという気持ちは、この浪人している時期の先生のお話、創大の先輩方とのお話でますます強くなっていって、諦めることができませんでした。先生や親に相談をし、2浪目をさせていただくことができました。僕を信じてもう一度チャンスをくれ、下関まで送り出してくれた両親には感謝してもしきれません。
 
2浪目をする際に僕は10時間唱題をして決意したことがあります。それは、1浪目で失敗したことをしない、自信をつける、そして自分の努力で家族に貢献することです。
 
2浪目が始まって、僕は復習を徹底して文法と単語を叩き込みました。現代社会などの教科は、友達と問題を出し合ったり、語呂合わせを作ったりなどの工夫をして覚えていきました。創栄館の友達は同じ目標を持ち、高め合い、苦楽を共にする同志であり、自分にとっては大きな力になった存在です。感謝しています。
 
6月・10月には英検2級を受け、9月にはTOEICを受験するなど試験を積んで自分に自信をつけていきました。さらに僕は過去問を何周もして「合格できる」と自分でも思えるくらいにやり込みました。その結果、英検も2回合格しました。勉強していく中で分からないところを先生に何度も質問しました。先生方は一人一人にわかるまで真剣に向き合ってくれました。また、僕たち生徒のことを第一に考えてくれています。なので、授業が終わってから、何度も勉強や生活について相談することがありました。そのおかげで、メンタルの部分も強くなっていきました。11月頃から創大の過去問やセンターの過去問をやることが増えてきましたが、1個のテストで一喜一憂せずに、次のテストで前回の点数を上回ることを考えてやっていました。そう考えて勉強していくうちに3教科の合計点数が1浪目の頃と比べて100点も伸びていました。自分でも成長していると実感できました。
 
いよいよセンター試験の日が来て、今までの唱題と勉強したことが自信につながり、試験が終わったときには、今まで以上の手応えがあり、自信がありました。その後の全学・一般入試も落ち着いて解くことができました。その結果、全部の試験で合格を勝ち取ることができました。
 
親に合格を報告したときは、自分のことのように喜んでくれました。親からは「あなたのおかげで私も成長できたよ。信心の確信もまた得られたよ」と言われました。そのとき僕は、2年間頑張ってよかったと本当に思いました。地区の方々も泣いて喜んでいると聞いたときは、自分の努力が周りの人に感動を与えられたとわかり、嬉しかったです。
 
僕は創栄館で大きなことを学ばせてもらいました。それは、勤行唱題の大切さ、同じ目標を目指す友の存在、いつもそばで応援してくれる家族、友達、地区の人たちの存在です。
 
僕は創価大学の入学に遠回りをしましたが、全部に価値がありました。ここで学んだことを大学でもっと活かして、信心根本に大人材に成長していきます。家族を大切に、いい結果を出して、恩返しをしたいと思います。
 
ここまで成長させてくれた先生方、本当に感謝しています。2年間お世話になりました。
 
ありがとうございました。

福岡県出身 梶原 春華

私は3浪目にして創価大学の合格を勝ち取らせていただきました。ずっと支え続けてくださった両親や学会家族、先生方に感謝申し上げます。
 
 私が入塾したのは、高校卒業した7月頃でした。もちろん、周囲の人との差は激しく、私の中学生以下のレベルでは、ついていくのに必死で、基礎をやる余裕もなく、応用問題ばかりを暗記することしかできませんでした。1浪目の受験では何の手ごたえも感じることなく不合格。その時私は「受験」というものに自分の醜さを見せつけられました。SNSでは周りの友人たちが楽しそうにしていて、その様子を眺めるたびに私の心は引き裂かれるような思いがしました。
 
 私はたまたま新聞の切り抜きを読みました。
「あきらめや弱気を打ち破るのも勇気だ。勇気のない人はいない。出してないだけなのだ。」
という言葉に励まされ、逃げの心や甘えを打破することが出来、2浪を決意しました。
 
 2浪目を共に戦っていく同志と、私たちは常にお互いをライバル視し、切磋琢磨していきました。その中で、去年の自分が勉強できていなかった基礎からしっかりと勉強していきました。先生は「この1年で3年分の勉強ができる。」とおっしゃいました。それは、朝早く来て勉強し、授業中ためらわず質問をし、帰って復習をするということです。先生の言う通り、朝一番に来て掃除をしてから一日勉強をしました。もちろん2浪目というプレッシャーに押し潰されそうな日もありました。人間なんて所詮、甘えた生き物です。一人でいる限り、どうにかして甘えようとします。でも先生は毎朝、自分たちに厳しい言葉を言ってくださいました。けれど、その愛情をいっぱいに受けていたはずなのにそのことに気づかず、ただただ自分の不甲斐なさを憎み、周りの点数に一喜一憂したり、机に向かっても悩んだりして、題目をする中でも不安で満ち溢れ、夏の終わりから、成績が伸びなくなっていきました。その不安から抜け出せず、当日の試験で隣に座っていた受験生による机の揺れ、鉛筆の音などで自分のペースが乱れ、自分の力を発揮できず、新傾向にも対応できず、最悪の結果に終わりました。
 
さすがに涙が止まらず、カラ元気で受かった子たちと別れをしました。そこからは、なんで泣いているのか分からないくらい毎日泣きました。「自分は何もできないダメ人間だ。」「心が汚いから御本尊様も聞いてくれてないんだ。」と自分を責めるようになりました。そんな状態で、私は中学の部活をしていた頃を思い出したのです。当時、バレー部のレギュラーとして活躍し、最後の中体連前、急にレシーブができなくなり、得意のサーブもできなくなっていきました。そのときは同級生や後輩たち、怖いコーチに責められ、誰一人味方がいなくて、このままだとチームが負けるという理由で辞めました。
 
 今思うと、それは完全に「逃げ」でした。そして、親からは「必ずいつか同じ魔が来るからね。」と言われていたのを思い出しました。
 
 「ここだ。」と私は思いました。先生や両親は、去年の頑張りを見ていて下さり、ラストチャンスを下さいました。私はここでまた逃げたら、人生が終わるなと思いました。私は先生と計画を立て、3月から早めに勉強に取り掛かりました。基礎はもうできていたので、皆と違う、難しい教材をしたり、英検準1級にも挑戦をしました。でもやはり、夏期講習前までは、キツくて、涙が止まらず、座談会などで、成功した話や体験談などを聞くと、自分がみじめに思えてきて、毎日病んでいました。この弱い心を克服しないといけないと思い、なるべく人と関わらず、とにかく勉強に没頭しました。皆でやるテキストに加え、TOEICの勉強をしたりして何度も受験と喧嘩しながら机に向かう日々が続きました。
 
 お母さんから、「創大のオープンキャンパスへ行こう。」と提案があり、行くことになりました。創栄館にずっとこもっていたので世界を狭く感じていましたが、キャンパスに着くと、いろんな意味で広く見え、創大生も皆輝いて見えました。また、大聖堂で出会ったSGIの方々と話す機会があり、母は折り鶴を渡し、アメリカSGIの方が、「次に青年部総会を開くために大きな誓いをしに来た。」と言われていました。QRコードの付いたカードを渡され、観てみるとSGIの活動の動画でした。それに感銘を受け、英語を使って私も将来は世界で活躍したいと思い、塾に戻ってからさらに勉強に取り組みました。
 
 私は試験前までには、既に動じない心が出来上がっていました。センターも全統も一般試験も何も怖くありませんでした。ついに、長い時間はかかりましたが、合格を勝ち取ることができました。創栄館は、精神的にも、信心や勉強面でも大成長できた、かけがえのない原点となりました。先生方を信じてきて本当に良かったです。改めて、本当にありがとうございました。必ず人材になってみせます。
 
 これから創栄館で勉強される方へ
 「浪人生だけど合格できるのか。」私は多浪の中、多くの浪人生が受かっているのを目にしてきました。そして私は3浪目にしてセンター/全学/一般と合格しています。私が証明です。
「これまで頑張ってきたけどそれでも合格できない。もう1年で本当に合格できるのか。」と思う人もいるでしょう。それも「絶対自分は大丈夫」だという強い気持ちがあれば、合格できます。これまでちゃんとやってきたのならば、グッとチャンスは大きくなるはずです。ですから、この1年で自分に何が足りないのかを見つけ、それを埋めながら積み重ねればいいだけです。自分に負けず頑張っていきましょう。応援しています。

山口県出身 岸本 美咲

この度、創価大学教育学部教育学科に二浪の末、無事合格することができました。
 
 まず最初に、私が創価大学を受けようと思ったのは、高校2年の夏、私が母に進路の相談をしたとき「創価大学はどう?」と提案してきたのを機に、その夏のオープンキャンパスに参加し、他の大学にはない魅力に惹かれ、この大学に行きたいと決意したのがきっかけです。
 
 しかし、私は商業科で、英語の授業レベルが低く、私もテストで点が取れればいいと思ってその場しのぎの暗記しかしてこなかったので、私自身の英語の学力は中学生くらいでした。だから、どのように勉強すればいいか分からず、受験勉強を始めたのは公募推薦の2ヶ月前くらいでした。結果はもちろん不合格でした。その後も、全学・一般試験を受けましたが不合格でした。そんな時、ネットで創栄館という存在を知りました。下関という事もあり、すぐに行きたいと両親に相談しました。最初、父が反対していましたが、母が説得してくれました。
 
 一浪目、私はネットで合格率100%という文字を見て、創栄館にいたら1年で合格出来るんだと思っていました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。結果から言うとまた不合格でした。この結果を見たとき、凄く凄く悔しくて涙が止まりませんでした。しかし、正直いうと、試験が終わった後、合格したという手応えを全く感じませんでした。けれど、いくら後悔してもどうしようもないので、私は前を向くしかないとすぐに気持ちを切り替えました。先生方とも話し合い、もう1年ここで勉強させてくださいとお願いしました。そして最初反対していた父が「自分のやりたいようにやりなさい」と言ってくれ、私はこの悔しさをバネに、次こそは絶対に合格を勝ち取ると強く決意しました。
 
 私が落ちたのには4つの原因がありました。
 1つ目は、一番大事な英語の基礎作りの4月~6月の時期を疎かにしていたからです。なので、7月の夏期講習では痛い目を見ました。基礎の土台ができてないのにいくら応用を積み重ねていっても点数はある一定のところで止まり、それ以上伸ばそうとしても伸びませんでした。なので、英語の合格ラインの105点を超えたことは3回しかありませんでした。
 
 2つ目は、きちんと復習をしていなかったからです。先生方は何度も何度も「復習が大事だ最低でも3回は復習しなさい」と言われていました。なのに、私は復習を甘く見ていました。それに、私は家では勉強ができない人でした。創栄館では集中して勉強ができるのに家に帰ると、やろうと決意していてもできないことの方が多かったです。そこで、二浪の時は、図書館に行って勉強していました。また、11月頃からは、夜、残って勉強していました。特に夜は、復習の時間にしていました。
 
 3つ目は、親元を離れての生活で浮かれていたからです。また、友達とずっと一緒に過ごしすぎたからです。やはり、友達といると自分のペースで勉強することができなくて、自分と向き合うことを避けていました。それは自分の意志が弱かったからです。
 
 4つ目は、質問回数が少なかったからです。先生方には落ちた後の話し合いの時に「あなたは質問に来る回数が少なかった。もう10~20回ほど質問に来ていたら合格していたのにね」と言われました。創栄館では、自分の分からないところ、躓いたところを質問し、理解し、潰し、自分のものにしていくことが合格へのカギだと私は思いました。先生はそのためにうるので、質問に多く行ったものが勝ちだと思います。
 以上が私が落ちた原因です。
 そしてなにより、創栄館が他の予備校と違うところは、朝晩の勤行があり、信心を深めていけるところだと思います。しかし、一浪目の私はそれまで勤行唱題をあまりしてこなかったので、導師のやり方も分からなかったし、鈴の鳴らすタイミングも分かりませんでした。また、どのように祈ればいいかよく分からず、御本尊様を信じて祈る力が足りませんでした。
 
 二浪目は自分がした過ちを二度も繰り返さないと決意して過ごしました。先に述べた4つの原因を教訓にして勉強しました。特に二浪目は一番大事な基礎の時期である4月~6月で、とにかく自分の躓いていたところを先生に質問し、潰して、自分のものにしていきました。英単語も繰り返し読んで覚えていきました。また、復習もきちんとしました。文法はその日やったところを自分なりにもう一度ノートにまとめて理解していきました。こつこつとそれを継続していきました。すると、一浪目の時に苦しんだ夏期講習で自然と点数がついてきました。自分でも成長しているのをどんどん感じることができ、勉強するのが楽しくなりました。そのころぐらいに、先生方に一浪の時に比べたら180度変わったと言われました。二浪目は孤独になったことが一浪目と大きく変わったところだと思います。そして、合格へ繋がった要因でもあります。孤独になると自分のペースで勉強に取り組むことができ、いやでも自分と向き合うことができて、自分のしなければならないことが明確になりました。人それぞれ勉強のペースや量は異なります。自分の場合は、完全に周りから孤立しては、精神的な面で受験の重圧に押し潰されてしまうので、仲間とは程よい距離感を保っていました。創栄館の仲間は、一緒の目標に向かって戦う仲間であり、ライバルだと私は思っていました。
 
 そして、冬期講習とそれ以降はとにかく過去問を解きました。創価大学を安心して合格するのは英語が7割必要です。私が7割を取るためにしたことは、文法とイディオムを強化しました。先生から配られた即戦ゼミやクローザーの他にNEXTステージを使い、一浪では正解率が半分くらいだったのを全問正解を目指し、ミスしても1、2問と決めていました。さらに、発音・アクセントもNEXTステージを使いました。
 
 特に私は長文が苦手で、どのようにしたら読めるようになるのか一番悩みました。そこで私は問題集の長文を繰り返し読んでとにかく長文に慣れさせていきました。すると、創栄館では課題で英字新聞の物語が出るのですが、一浪目の時は日本語訳がメチャクチャで読めなかったのが、二浪目ではスラスラ読んで日本語訳出来るようになりました。また、長文は繰り返し読むことで何度も出てくる単語やイディオムは自然と覚えることができました。英単語の4500のCDをウォークマンに入れて繰り返し音を聞いて読んで覚えました。4500の細かい単語も覚えたら十分語彙力はつくと思います。また、過去問を解いていくうちに創大がよく出す問題やイディオムなどがなんとなくわかってきます。それは現代社会と国語の過去問にも言えると思います。
 
 大事なのは、分からないところを分からないままにしておかない事です。何度も言いますが、分からなかったら自分で調べてみて、それでも分からなければ先生に質問しに行く事です。
 
 最後に、私は一浪の時と大きく変わったところはもう一つあります。それは、勤行唱題に対する姿勢です。一浪で落ちたとき、自分が創大に合格するためには、もう御本尊様を信じて祈り切るしかないと思いました。それからは木本先生の言われた通りに、具体的に明確に真剣に祈っていきました。また、仏智を下さいと祈り続けました。さらに、国語がどうしようもないくらい伸びなかったので、読解力と理解力を下さいと強く強く日々祈りました。明らかに一浪の時より御本尊様を信じて自分は絶対合格出来ると自分自身のことも信じて最後まで祈り切ることができました。そして試験までの18日間は1日1時間みんなで勉強する前に唱題し、試験に臨みました。試験会場に向かう新幹線の中で4500のイディオムを見てたところが英語の試験でちょうど出たり、現代社会でも直前に見てたところが出てびっくりしました。一浪の時とは違い、合格の手応えを強く感じました。結果、センターでは1学部、そして、全学・一般入試では受けた学部全てで合格を勝ち取ることが出来ました。一浪目の不合格を見たときは本当に絶望のどん底でしたが、そこから這い上がってもう1年勉強できてよかったと思いました。英語が中学生レベルの自分でもここまでくることができ、自分にも不可能を可能に変えることが出来るのだと、これからの自信になりました。
 
 この合格は2年間最後まで支えてくれた家族、先生方、また、地域の方々、そして、1年目の仲間、2年目の仲間、2年間ともに戦ってきた仲間がいての合格です。本当に感謝しています。この2年間を自分の原点として、これからも信心根本に創価大学では自分の使命を見つけ、人に求められるような人材に必ずなります。そして、両親を大切にします。
 
 今まで応援してくださった皆さん本当に2年間ありがとうございました。
 先生方、2年間大変お世話になりました。

静岡県出身 米山 昌美

この度、創価大学文学部に合格することができました。いつも心の支えになってくれた家族、最後まで見守り励ましてくださった先生方、私を成長させてくれた創栄館のみんな、そして、応援してくださったたくさんの方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。
 
 私が創価大学を目指そうと思ったのは、高校2年生でした。まさか、自分が創価大学に行きたい!と考えるようになるとは思っていませんでした。しかし、言語を学ぶのが好きだったので、大学に行って色々な言語・文化を学びたいと思ったのがきっかけとなり、創大のパンフレットやオープンキャンパスに行き、私にはここしかありえないと思ったのが始まりです。しかし、最後まで頑張りましたが結果は不合格でした。
 
 創栄館に来ることができたのは、公募推薦の時に創栄館の先輩であり、高校の先輩が偶然私のことを見つけてくれたからでした。そして、創栄館の話をしてくださいました。浪人を決めたのは、絶対に創価大学に行きたい、そして、先輩みたいに誰かのために熱くなれる人になりたいと強く思ったからです。
 
 創栄館に来て初めの授業は、2冊の英単語帳をとにかく暗記することでした。1周目は全体でテストし、2周目以降は自分で小テストをしていきます。自分でしていくという事は、手を抜くこともできますが、ここで負けたらこの後も負ける気がし、ここで自分に勝たなければと言い聞かせました。絶対今日はここまでやってやる!と目標を決め、時間を気にしながらやっていました。さらにここに英文法のテキストも加わり、単語の時間が減っても、私はしっかり計画を立てながらやっていきました。
 
 そして、英語のテストで少しずつ力がついてきて、うれしかったのを覚えています。ここで言えるのは、「終わりよければすべてよし」とありますが、スタートがうまくいけばその過程もいいものになって、ゴールはもっとよくなるのではないかなと感じました。
 
 現社と国語は、本当に苦手で嫌いな科目でした。現社は英語と同様、暗記から始まります。正直、辛かったです。しかし、そんなことを言っていられません。ここでも、無駄がないよう目標を決めてやっていきました。調べてもわからない単語や文章があれば、先生に聞いて自分が納得するように、文章を書き換えたりもしました。現社も自分で小テストをし自分の弱い心に負けないことが大事だと思います。今では、ニュースなどを見て難しい単語の意味が分かるようになりすごく楽しいです。
 
 国語は、問題集を解いていきます。私は、本を読むことが嫌いだったので、かなり苦戦しました。分からないところは先生に質問することができますが、その分からないところが分からないのです。でも、質問をしにいかなければ分からないままになります。だから、自分でもう一度読んで、どこが分からないかを考えていきました。そして、自分でその答えの根拠を見つけて納得したらそれでいいし、少しでも納得いかなかったら、先生に聞きにいきました。国語で大事なのは、何度も読み返し、自分で納得し、少しでもわからなかったら先生に必ず聞きに行く事です。
 漢字では、1回のテストで頭に入れる!と決めてかかった方が効率が良かったです。漢文は、高校でやっていたけれど、全くというほど頭に入っていませんでした。だから、ドリルでしっかり基礎をつけ、問題集を自分で書き下しして、漢字を調べて訳してみるとかなり力がつきました。
 
 私が最後まで頑張れたのは、仲間というライバルがいたからだと思います。点数が貼り出されるので、それを見てまだまだ頑張れると自分を奮い立たせていました。また、こんな点数ではダメだと思う前に、誰かがここまでできるなら、私にもできるだろ!とポジティブに考えられたことが今思うと大事だったんだなと感じます。こう思うことができるのは、やっぱり唱題に限ります。私は、正直自慢できるほど唱題をしていないと思います。ですが、30分だったら、本気で祈り、辛かったら「辛いです」、嬉しかったら「今日は~が嬉しかったです」などと素直に話すように唱題をあげていました。
 ラストスパートでは、本当に自分との戦いです。先生は、12月頃になって「孤独になりなさい」と言います。これは、周りに流されず自分と向き合いなさいということです。なかなか自分と向き合うことはありそうでないことです。例えば、点数が良かったから、今日は勉強はもういいやとか、ちょっとくらい授業中に寝てもいいやというちょっとした魔と戦うことです。これは、日常の中であることなので、なかなか向き合うことができません。でも、ここでしっかり唱題をし、勉強すると必ず勝利に繋がります。そして、自分を変えることができます。
 
 私は、最後の2ヶ月、こんなのに負けてたまるか、絶対勝ってやる!と決心し、しっかりやるべきことをしました。そうすると、過去問の点数も上がって、本番もよい緊張感を持って、自分のペースで受けることができました。
 創価大学に行っても、人材になるためにもっともっと成長して、両親にしっかり親孝行をしていきたいです。これから、4年間、自分の好きなことを学べるということに感謝して、やるべきことをしていきたいです!
朝の朝礼で毎日のように、「人材になれ、人材になるんだ」といつも言われました。創大に行って必ず人材になります。
 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

沖縄県出身 新田 一惟

まずは、一年間教えてくれた先生方、地元沖縄から応援してくださった地区の方々、下関地区の方々、友人、そして下関という遠い地まで送り出してくれた両親に感謝申し上げます。
 
 端的に話すと、野球で県ベスト4になり、天狗になって、創価大学の野球のセレクション、公募推薦、全学統一、一般、すべて不合格でした。通信教育に行こうか迷っていると、お父さんに、一年間頑張ったほうが成長するよと後押しされ、山口県に飛ぶことになりました。
 初めての一人暮らしはいろいろと大変だろうなと思いましたが、創栄館ではすぐに仲間も出来とても助かり皆気の良い人ばかりでした。
 
 勉強の方は、四月はずっと英単語をやりました。僕は書くより何度もじっくり声に出して読む派でした。発音・アクセントにも日ごろから気をつけていました。
 塾長の木本先生はいつも、朝晩の勤行と復習をしっかりやれば合格できると言われていました。僕は、勤行はしっかりとあげていたのですが、朝が遅く、復習がほとんどできていませんでした。その分夜に集中することにし、教室と気分を変えるため図書館にと頑張り抜きました。
 夏場もひたすら勉強々々の毎日でした。塾が終わるとすぐに図書館に行って夜の9時・10時頃までやっていました。
 秋になると多くの実践問題に挑戦させられ、この頃になると今までやってきた人、やってこなかった人の差が大きく開いて来ることを実感しました。
 冬はもう毎日過去問をやり、お母さんからは×を○に変えるのが大事だ、と言われつくづくと実感しました。この頃には、英語が7割~8割、現社が7割~8割近く取れるようになっていましたが気の抜けない毎日が続きました。
 センター試験の日になり、先生は受からなくてもいい、創栄館は一般入試に重きを置いているから、と言われましたが、僕はあまのじゃくなので、だったらセンターで合格を勝ち取ってみせる!という気持ちで臨みました。
 全学、一般も全ての教科で9割取る!という目標を決めて受験しました、正直言って何の手応えもなく終わってしまいました。しかし僕はセンター試験では7割取っていて、自信がありました。
 
 合格発表当日、とても緊張しながら、まず国際教養学部を見ました。残念ながら落ちていましたが、その他の、文学部・経済学部・経営学部・法学部は合格していました。その他にも全学では法学部、一般では経済・経営・文学に受かっていました。
先生が言われた通り、確実に創価大学は難しくなったという事です。過去問と比較してもそれは一目瞭然です。いくら先生から指摘されても上の空で聞いていれば、それは、勉強をしていないのと同じです。結局は本人がやるかやらないかだということです。
 最後になりますが、山口県で勉強だけでなく、人間的にも大きく成長できたことに本当に感謝しかないです。
東京の地でずっと支えてくれた彼女にも感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

大阪府出身 今井 健一

 まず初めに創栄館の塾長木本先生、橋本先生、滝下先生のおかげで合格できました。
 
最初創栄館に行く事はあきらめていました。経済的に無理だという事と、一番は親に迷惑をこれ以上かけたくなかったからです。なぜなら僕は中程度の難聴を生まれつき持っています。そのため、補聴器を身に付けていないと人と会話をする事ができません。その補聴器にかかるお金を負担してもらっていて両親に申し訳ないと思っていたからです。
しかし、先輩が家に来て創大に絶対行くべきだと説得してくれたり、木本先生のおかげで創栄館に行かせてもらう事ができ、最後に両親の了解と応援をいただき、行く事ができました。
 
今振り返れば、それはすごくいい選択をしたと思っています。創栄館で過ごした10ヶ月は僕にとって最高の10ヶ月でした。
 
小・中学校は楽しかったのですが、高校ではまったく楽しい日々はありませんでした。僕の同期の創栄館メンバーも小・中の同級生も信じてくれないとおもいますが、高校ではまったくしゃべらず、友達も作らず、部活も途中でやめてしまいました。親にすごく心配させました。
 
僕自身、何のために学校に行っているかも分からず、少し鬱になっていました。高校の卒業式を迎えたときは、やっと終わったと思い、これで学校に行かなくていいんだと嬉しかったです。
 
それに比べて、ここでの生活はとても楽しかったです。初めての一人暮らし、創栄館に今年集まったメンバーは遠いところでは千葉、沖縄などいろいろなところから集まってきた生徒、下関ならではの食べ物と行事、どれも新鮮で貴重な体験ができました。
朝の5時に寮を出て6時に唐戸市場に行った事があります。そこでは新鮮な魚がいっぱい売られていて、そこで正月のために魚をたくさん買った楽しい思い出があります。
また、地方独特の方言や言葉がたくさんあってびっくりしました。特に沖縄に関しては全く何をしゃべっているのか全く分からなかったです。
 
創栄館に来て、良かった事があります。1つは、先生にいろいろサポートしてもらえたことです。ほとんど一人でやる事ですが、洗濯や食事、洗い物をしないといけないので、親のありがたみをすごく感じました。食事を用意するだけでも大変なのに、母親はそれに仕事をしていた事に、本当にすごいと思いました。2つ目は、創栄館とゆかりのある人たちとたくさん出会えた事です。
僕は高校3年の冬まで勤行もあんまりやった事がありませんでした。だから、創価大学に行くつもりはありませんでした。僕が創大に行く最初のきっかけは、おばあちゃんに勧められたオープンキャンパスですごくいい印象を持ったからです。だけど、現役では合格できませんでした。
そこで、浪人をするために創栄館に来たら、そこで会った学会員の人たち、先生、友達にすごくびっくりしました。
大学に行かせ「世界の人材」に育てるため予備校の授業料を30回分割で、通わせてくれた事には本当にびっくりしました。そのおかげで創栄館で学ぶことが出来また、また見事合格する事ができました。木本先生ありがとうございました。
創栄館で出会った友達は優しくて、志の高い人たちばっかりなので、驚きました。先生のもとには過去卒業した人たちや、国会議員さん、防衛大学の関係者など、様々な人たちが激励にお見えになる事に感動しました。創栄館に来ることができ本当に良かったです。
 
最後に、僕を支えてくれた両親に「ありがとう」ございました。高校時代、部活を辞め、友達ができなかったので心配と不安を掛けさせてすみませんでした。これからは少しでも恩返しをしていきます。
木本先生、松田先輩ありがとうございました。先生がいたから、僕は創栄館に行く事ができました。今度は僕が「社会の人材」となって先生の期待に必ず答えます。創栄館の日々は辛くてしんどかったけど、自分にとって最高の場所でした。
本当にありがとうございました。

青森県出身 阿保 雄大

 私が創価大学を目指した理由は、工業高校で進路が決まらず、悩んでいたところ、母から創価大学を奨められたことでした。
 早速、オープンキャンパスに行き、先輩方が親切で活気に満ち溢れていた姿を見て、次第に自分も創大生のようになりたいと思うようになりました。
 
 しかし、いざ勉強を始めるとどこから手をつけていいかも分からず、さらに過去問を初めて解くと三割しか点数が取れず大学受験の厳しさを知りました。私はそこから現実逃避するようになり勉強を本気でせず、公募推薦1か月前になって焦って勉強しましたが結果は不合格でした。
 私は落ちて初めて自分の勉強の足りなさを実感しました。そして気持ちを入れ替え一般試験に向けて人が変わったように勉強し、受験前日には、唱題10時間をして、挑みました。しかし、2か月では合格点まで伸ばせず、全て不合格でした。
 私は今まで勉強やスポーツ全て中途半端でした。勉強はテストのとき以外勉強せず、スポーツでは高校のときボイコットしたこともありました。私はこの受験で人生初めてやり切ったと実感したので涙は出ず、自然と浪人してでも絶対に受かると決意していました。
 
 創栄館に行こうと思った理由は、しっかりとした信心ができることと、同じ目標を目指す人達と切磋琢磨できると思ったからでした。
 青森県という遠隔地から山口県に行くということで母が承諾してくれるか不安でした。しかし「やりたいようにしていいよ」と言われ、行くことが決まりました。
 
 創栄館での勉強の日々が始まりました。最初青森県なまりの津軽弁で会話したとき、「フランス語みたい」と言われ、言葉を伝えるのに苦労しました。しかしすぐに慣れました。
 4月から授業が始まり、毎日英文法と英単語をやりました。英文法は最初簡単でしたが、次第に分からないことがでてき始め、そのときは先生に質問しに行き、分からないところを潰していくようにしました。後になって「基礎が一番大事」と先生が言っていた意味が分かりました。なぜかというと創大は文法が多く、それもほぼ基礎中心だからです。
 7月~9月の夏期講習で、過去問を英語中心に解きました。塾での勉強時間が増え、勉強がつらい時期でした。
 10月~12月は冬期講習で創大の過去問とセンターの問題を数多く解き、私は冬期講習が始まるまでほぼ7割以上英語は取っていたので7割は取れるだろうとたかをくくっていたのですが、しかし、冬期講習に入って急に点数が取れなくなりました。
どうしてだろう、なぜ点数が下がったんだろうと真剣に考えました。自分は「満」になってていたんだと気付き、それからは家での勉強量を増やしました。
 
 英語長文の音読毎日、15回今までやった文法テキストの復習、発音、アクセントなどです。その結果冬期講習の最後の過去問で今まで一番高い8割程度英語が取れるようになりました。
 今思うと、ここで危機感をもって良かったと思いました。冬期講習は今までで一番つらい時期でとても悩みました。人の点数に一喜一憂したり、イライラしたり、勉強を止めたいと思ったり、極度の緊張のなかで苦しみました。しかし、諦めず頑張れたのは唱題と家族のおかげでした。唱題では11月に100万編達成したことが心の支えや自信につながりまた、家族と電話することで気が楽になりました。
 
 センター前自分でやった英語の過去問で8割とることができ、「絶対に合格してやる」と思いセンターに挑みました。しかし、自己採点では合格点に届いていませんでした。とても悔しいのと同時に焦りました。
 センター後20日間は「不安になる暇があるなら勉強」という気持ちでガムシャラに頑張りました。全学の前日には5時間唱題しました。自信を持ち全学、一般を受けました。ほぼ予備校の中でやった問題ばかりで驚きました。唱題のすごさを知りました。入試後は、点数は心配なかったが、なぜか受験番号の書き間違いをしているかもという不安がありました。
 
 合格発表日13日、不安になりながら全学統一入試の結果を見て見事受けた五つの学部全て合格していました。さらに落ちていたと思っていたセンター試験もなんと希望していた文学部に合格していました。あのときの喜びは言い表せません。一般も全て合格でした。
 私は、この受験で努力は裏切らないと確信しました。
 最後に、悩みを聞いてくれた仲間、一緒に闘った仲間、地区の方々、色々心の支えになってくれた母親、家族、創栄館の先生方、唱題100万編をやろうと決意させてくれた先輩、本当にありがとうございました。これから人間教育の最高峰、創価大学で、皆への感謝を忘れず、創栄館での濃い10か月を忘れることなく最高の人材になるように日々精進し続けます。
 
 最後に創価大学を目指そうと思っている人々にメッセージです。
私は現役で受からずに浪人して良かったと思います。浪人して人間的に成長し、勉学でも自信がつき、自信を持って大学で勉強できる基盤ができたからです。創栄館で基礎をしっかりやり、課題をこなし、毎日復習すれば必ず受かります。一つ忠告することは早い時期に勉強のスイッチを入れてほしいことです。私も皆さんと同じでした、今悩んでいる皆さん創栄館で自分が誇れる一年にしてみませんか?

大分県出身 横尾 清哉

 この度、創価大学特待生教育学部に合格することができました。ご尽力くださった創栄館の先生方、応援してくださった家族、周囲の方々に感謝申し上げます。

 私は高校1年生の3学期から高校卒業まで不登校になりました。その原因は、高校1年生の頃に担任教師に暴言を吐かれたことでした。 2年生になる頃には、その教師は他校へ赴任されましたが、本当に苦しかったのは、高校2年生からでした。

 

 高校1年生の3学期から学校へ行けなくなった私は、その休んだ約3ヶ月間で昼夜逆転の生活が習慣づいてしまい、なかなか元通りの生活、特に午前中に起きることができなくなってしまいました。

2年生の2学期には、精神科、心療内科の病院で自律神経失調症と診断されました。また、学校での人間関係は、頼れる友達がおらず、部活では、私がこんな状態になった原因を知っているにも関わらず 「サボって学校を休んでいる」 と言われ、信頼を裏切られました。

しだいに、私は家族や理解してくれていた教師以外の他人が信用できなくなり、そして怖くなり、外出する時に人とすれ違うことでさえも怖くなりました。その時私は3年生になっていました。そして3年生の6月以降、教室に入れなくなりました。またその時には病院で社会不安障害(対人恐怖症)と診断され、6月以降から卒業式前日まで別室登校という形で登校していましたが、卒業するには、単位が必要で、その単位を取るには教室の授業に出席しなければなりません。時間数の3分の2以上を補講でカバーすることしかありませんでした。補講の内容は自主学習でしたが、平日の午前11時頃から午後7時まで補講をし、なんとか卒業することができました。

 

 そんな苦しい日々の中で、創栄館の話を聞いたのは、妹が関西創価高校の受験をした時でした。偶々母が待合室で話していた人が、創栄館のことを知っていました。私はセンター試験しか受験することができなくて、勉強は、受験のためというよりも卒業するための単位をとるためにしていたので、結果はもちろん不合格でした。2月に創栄館に電話すると、塾長から 「(私の体調を)1週間で治してあげるからね」 と励ましの言葉を頂き、私はとても安心し「創栄館で一生懸命勉強して創価大学に何年かかっても絶対に合格してみせる」と思い創栄館に入学することを決意いたしました。

 

 そして3月末、私はほとんど体調が変わらぬままで、 「友達ができても高校の友達の時のように裏切られたらどうしよう」 「生活習慣が元通りになれたらいいな」 という思いを持ちながら、下関に引っ越しました。

 引っ越してから初日、不思議なことに、私は朝6時に起きることができました。それからは毎朝起きることができています。初日は、やはり他人が怖くて自分からは塾の友達に話せずにいましたが、話しかけられて話してみると普通に話せました。

 4月に入ると、授業が始まりましたが、授業の前に、皆で勤行をし、聖教新聞の「わが友に送る」「新・人間革命」を拝読して、授業が終わったら、皆で勤行をします。このことを知った時、私は、他の塾や予備校にはない最高の環境で勉強できることにうれしく思いました。そして授業では、私は文系教科が大の苦手で、受験教科は国語、現代社会、英語の3教科で全て苦手科目なので不安でしたが、最初は英語からで、中学レベルから始まったので、高校時代にほとんど授業に出ていなくてもしっかりついていけました。

しかし、それでも私にはまだ不安な点がありました。それは自宅学習でした。高校時代は同級生の学習内容についていけなかったこともあり、自宅学習はほとんどしてませんでした。なので、自宅でどのくらい勉強すればいいのかわかりませんでした。そこで創栄館の先生方に相談したところ、無理せずに、自分のできる範囲ですればいいとアドバイスをもらい、とても気が楽になりました。

 また、生活面でも初めての一人暮らしでの不安や精神面での悩みがありましたが、なんとか乗り越えながら、1年間勉強をしてきました。挫折しそうになった日も時々ありましたが、毎日の勤行、唱題で 「絶対に昨年、一昨年の状態に後戻りしない」 と決意して、毎日勉強して乗り越えてきました。

 センター試験では、1年前よりも大幅に点数がとれました。特に現代社会と英語の筆記に関しては、現代社会は36点から83点に、英語の筆記では76点から138点に点数が伸び、昨年にリベンジすることができました。

 また、全学統一入試と一般入試でも大いに満足できる結果が残せました。こんなに良い結果が出せるとは1年前の私は思いもしなかったです。特待生として創価大学に入学できたこと、創栄館という環境の良い所に来ることができたこと、とても感謝しています。

 高校時代、悲惨な状態だった私でも、1年間創栄館に通って、今は朝早く起きて有意義な毎日を過ごせています。創価大学では私の高校時代のように苦しんでいる人達を助けていけるような人材になれるよう、精一杯頑張っていきたいと思います。

皆さん本当にありがとうございました。

大阪府出身 松田 拳咲

 僕は小学校3年生の時、心の病が原因で不登校になりました。学年が上がるにつれて出席日数は減っていき中学校は3年生の最後の17日しか登校しませんでした。夜中までテレビを見て昼ごろに起きて、犬の散歩に行って、テレビを見ながらごろごろする毎日でした。不登校の人が行くフリースクールのような所も気がむいた時に時々行く程度で、ほとんど勉強はしていませんでした。
 
 中学2年生の時、自分に合った病院が見つかりました。学校に行っていないのでほとんど友達がいません。病状が回復するにつれて「友達がほしい」と思い始めました。中学に行く勇気はなかったので高校から行こうと決意しました。
 
 中学3年生夏休みから家の近くの塾に通い、なんとか高校に入学することができました。僕はその時、池田先生にお手紙を書きました。病気が治ったこと、高校に入学できたこと、そして卒業をしたら必ず創価大学に行きます!!と。すると関西の未来部長さんが自宅まで飛んで来てくださり、先生からの御伝言と創価大学のクリアファイル、そして青春対話を持ってきてくださいました。
 高校に入学した僕はテニス部に入り3年間部活動にささげました。勉強は全然していませんでした。そして3年生の進路相談の時、池田先生とした創価大学に行きますという約束はすっかり忘れ、僕が選んだ道はお笑い芸人でした。高校を卒業してお笑いの養成所に通いました。1年間で養成所を卒業しましたが、やはり現実は厳しく卒業して数か月でお笑いをあきらめ就職することにしました。
 さがし始めてからはトントン拍子で職場が見つかり家の近くの工場で最初は派遣社員として雇っていただき、3か月で正社員にしていただきました。すべてがうまくいっていたように見えましたが、そんな時僕は人生で一番大きな壁にぶつかりました。僕は両親が背中で教えてくれた信心以外なにをしていいかわかりませんでした。気づけばご本尊様の前にすわって、泣きながら唱題していました。唱題に挑戦し男子部の会合に参加させていただき色々な人に激励していただく中で必ず今のこの悩みに感謝できる自分になろうと決意しました。
 そんなある日、僕は本棚の奥の埃まみれの本に手をのばしました。お手紙を書いた時、池田先生にいただいた青春対話です。僕は生まれてから、ほとんど本を読んだことがありませんでした。一冊を数日かけて読みました。読み終えた時、僕は20年間逃げ続けた勉強と戦おう、池田先生の造ってくださった大学へいこう、中学生の時決意した創価大学に行きます!!という池田先生との約束を果たそうと決意しました。
 母に創価大学に行きたいと相談すると、創栄館にお願いするしかないね、電話してみようと言ってくれました。
 
 兄も数年前に創栄館で一浪して創大に行っていたので創栄館の存在は知っていましたが、年齢のことやその時は8月だったので時期的なことなどいろいろ不安がありましたが電話すると、何も心配はいらないよ、いつでも待ってるよと言って下さいました。
 
 そして一昨年の8月僕は創栄館に入学しました。僕が一番初めにした事は恥をすてることでした。現代社会も初めて、漢文も初めて、英語は助動詞なんとなくわかる。SVOCは見たことがある。「関係代名詞」初めまして。こんな感じでした。
 年はみんなより年上でしたが勉強は後輩でした。とにかくみんなにどんな勉強をしているか聞いてまわりました。覚えられない単語は紙に書いて壁にはるといい、と言われれば紙に書いて壁にはりました。一日にノルマを作って毎日やり続けてるよ、と聞くと僕もノルマを作って寝る前に読んで、起きて何をするよりもまず最初に同じ所を復習しました。とにかくみんなに勉強の方法を聞き、自分に合うのが見つかるまでマネし続けました。しかしやはり8月からは現実的に厳しい部分がありました。午前はみんなと同じ勉強、午後からみんなが見直しや復習をしている間にみんなが4、5、6、7月に終わらせた文法の所などをやるという感じでした。けど言い訳はしたくありませんでした。言い訳をした瞬間自分の負けだと自分に言い聞かせました。とにかくどんなに細かい所でも納得するまで自分で調べて、それでもわからなければ先生に質問して、とにかく食らいつきました。あっという間に試験でした。1年目の結果は不合格でした。勉強も唱題も半年でできるかぎりの全てをやりきっての不合格。後悔はありませんでした。
 しかし一つだけ心残りがありました。僕はその時友人に対話をしていました。
 合格を勝ち取ってその友人に信心のすごさを見せてあげたかったのにできませんでした。それを母に言うと 「合格して信心のすごさを見せてあげるのも折伏やけど、不合格でもあきらめずに戦い続ける姿を見せてあげるのが本間の折伏やで」 母の言葉で気持ちは定まりました。
 
 これは自分のためだけの合格じゃない、必ず勝ち取ろう。新たな気持ちで挑んだ2年目、自分の弱点は半年でなんとなくわかっていました。とにかく弱点をつめていきました。現社は分からない言葉が1つでもあるともやもやして進めないので、とにかくしらない言葉は全てしらべて自分で辞書をつくりました。英語も自分で復習しやすいよう、とにかく自分なりに工夫しました。自分は記憶力もそれほどよくなく、おくれている分をとり返すのは量しかないと思い、日曜日も勉強しようと思いましたが、家では寝てしまうので図書館で勉強しました。そして試験が近づくと日にちから逆算して計画を立てていきました。
 試験までの限られた時間、今の自分の能力をてらしあわせて、新しく知識をつめるより復習をしよう、何日までにこれを終わらせて何日までにこれを終わらせよう。とにかく頭をフル回転させて一点でも多く点を取る方法を考えました。そして万全の状態でむかえました。最後の試験のベルが鳴った時、僕は勝利を確信しました。あとは結果を待つだけでした。そして結果はセンター・全統・一般の受験した全て、合格を勝ち取ることができました。
 先生方には一年半本当にお世話になりました。ありがとうございました。偉大な創栄館がなければ大学を目指すこともできていなかったと思います。創栄館で素晴らしい先生方のもとで最高の仲間たちと勉強したことを誇りに先生方に必ず人材になった姿をお見せします。
 また、今まで応援してくださった皆さんに恩返しするため、そして、病気になった時も不登校になった時もお笑いをしたいと言った時も大学に行きたいと言った時もどんな時も味方でいてくれた最高の両親に親孝行するため、感謝の気持ちで創価大学で学んでいきます。本当にありがとうございました。

兵庫県出身 前田 和佳菜

 この度、私は創価大学看護学部にセンター・全学統一・一般入試で合格をつかみとる事ができました。今まで私を励まし丁寧に一つ一つ理解できるまで教えて下さった先生方、最後まで私を信じつづけて山口まで送り出してくれたお母さん、創栄館で共に勉強し苦楽を共にしたみんな、私を応援してくれたすべての方々に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 私は二浪でした。私が創栄館に行くのが決まったのはとても突然でした。一浪目で不合格だった時私は絶望のど真ん中にいました。自分は本当に頭が悪いんだ、創大にはどれだけ行きたくても無理なんだ、と諦めていました。不合格の発表の後はとにかく何も考えたくなくてバイトを三つかけもちし、朝5時に起きてコンビニ、夜は居酒屋、休みの日は一日中引っ越しと、今考えると「逃げ」の生活をしていたように思います。そんな自暴自棄の日々の中、お母さんの友人で「澤井」さんが私と話がしたいと言ってわざわざ私の家まで来てくれました。その方に叱咤激励され目がさめました。「ほんまに創価大学に行きたいんやろ。諦めるもんちゃうやろ。ほんまに創価大学に行きたいって思ってるあなたみたいな子が行くべきところや」そう言って創栄館を紹介して下さいました。私は号泣しながら塾長の木本先生に電話しました。すると先生は会った事もない私にまず第一声

「私に任せなさい。泣いたら福運が逃げるよ。泣いたらダメだよ。」

と優しく、そして力強く励まして下さいました。私は木本先生を信じたい。ついていきたい。そう思いました。創栄館で勉強して必ず創価大学の看護学部に行きたい。と。

 

 それから二週間後、ほとんど身一つで山口に行く事になりました。でも私が山口県にとんとん拍子で行けたのは、本当に沢山の方々の優しさと応援あっての事です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 山口につくとお母さん達はそのまま数分で帰ってしまいました。心の準備も整ってないし、まったく見ず知らずの土地一人で生きていくという事が心細くしばらくはひどいホームシックになる事もありました。しかし寮には自分と同じ創大を目指す人達がいる。それが心強かったです。先生方も勉強の面から生活の面までサポートして下さりました。

 しかし、私が心細いだのなんだの言ってられるのは最初の二、三か月ぐらいで夏期講習に入ってからは息つくひまもなく勉強。ただひたすら勉強という感じでした。創栄館は最初に単語帳を二冊徹底的にしてそこから、すごく丁寧に文法、優しい長文、やや難しい長文、英字新聞の物語の訳など徐々に易→難になっていきます。最初に基礎をとことんやることの大切さは本当にここで学びました。

 

 私は長文は好きだけど文法は大の苦手でした。しかし、先生が一日一つやる文法のところを帰って復習を必ずしなさいと言われていて、それを実際やってみると、わからないところは次の日質問できるし、さらに知識を深めれるのでこれがとてもよかったなと思っています。後、私は書くのが苦手で読むのが得意で小さい頃から本が大好き、読書が大好きだったので、「読む学習」を徹底的に行いました。

 まず、生物基礎、化学基礎の教科書を読む、一問一答を読む、覚えた単語帳を何度も読む、文法の即ゼミを寝る前に読む、昨晩やったところを朝起きてすぐもう一度読む、イディオムの本を読む、現代文の本を読む、というように読みまくりました。読んで読んで何往復もしているうちにその教科ごとにどんどん伸びていくのがわかりそれがとても楽しかったです。

 

 私はとにかく勉強する上で大事にした気持ちが三つあります。

「悔しい」「楽しい」「嬉しい」です。テストで悪い点をとった時は家に帰って号泣する事も多々ありました。でも悔しさをバネにして間違えたところは必ず見直してノートをつくり自分の苦手を把握できる様にしました。

 私は一浪目は生物基礎が本当に苦手でしたが、とことん一問一答をやっていくうちにテストをしても、全範囲やっていて知っている所がでるわけですから、わからない所は「知らない」だけなので逆に自分の知らない知識が埋めれてまたテストの点が次は上がるなというようにとても「楽しかった」です。

 どの教科もテストでいい点をとったらもちろん「嬉しい」です。なのでいい点をとろうと頑張れます。マイナスの方向にばかり考えるともちろん負の感情が生まれます。でもプラスの感情でむき合うと頑張る原動力になります。

 

 祈る時もただ祈るのではなくて、勉強計画を立てて終わったらやると決め必ずやる。そうすると自然と勉強した事がスーと頭に入りました。ここまでの事を実行してセンターに挑んで去年よりはるかにいい点をとれました。しかし、ここでまた一つ私の弱点が発覚したのです。それは発音・アクセントでした。だから一般に向け、毎晩発音・アクセントを一章ずつやりそれを朝起きたら昨晩やったところを朝の唱題をしたあと必ずやりました。すると、苦手が得点源に逆転しました。

 そうして挑んだ全学と一般。今までやってきた事を信じると緊張せずに入試を終えることができました。マークミスをしたかもと思ったりもしましたが、自分を信じるのは自分だと合格を確信して祈り抜きました。

 そして掴んだ「合格」の二文字。本当に頑張ってきてよかった。そう思いました。

 創価大学では4年間しっかりと生命哲学と看護の勉強などを学び、人のために役立つ事ができる、本当に困っている人を助けれる世界に通用する看護師になる決意です。

京都府出身 足立 大河

 この度、創価大学理工学部共生理学科に合格しました。この一年間いろいろと苦しい事がたくさんありましたが、創栄館の先生方、応援してくださった地区の方々、この一年間切磋琢磨してきた仲間達、そしてなにより、自分を信じ遠くはなれた下関の創栄館という場所に送り出してくれた両親には感謝でいっぱいです。
 
 この一年間を振り返ってみると、僕はこの場所に来るべくしてきたのだと思います。なぜなら、この創栄館で勉強することによって創価大学に受かるという目標を達成するだけでなく自分が、人間的に大きく成長できたと思うからです。
 今まで自分は、勉強もまともにせず、怠惰な生活を送ってきました。このような状態では、もちろん創価大学に受かるはずもなく落ちてしまいました。そして親に言われるがままこの創栄館にやってきました。
 最初は勉強にプラス朝と夕方の勤行、さらに初めての一人ぐらしで大変だと思っていました。しかし、毎日コツコツと勉強、勤行をしていくと、創栄館のみんなで英検を受けた時、自分が思っている以上の点数がとれ、こんな自分もしっかり頑張れば成果が出るんだと思いました。
 そして創栄館は普通9時からスタートですが、7時半ごろに教室に行き、朝早くから自主勉強をするようになりました。しかし、冬期講習になると勉強も過去問をやりまくるようになって、授業時間も長くなり日曜日の休みもなくなりさらにハードになりました。これまで疲労も溜まってきてなかなか朝早く起きれなくなっていきました。それに英語の点数が思ったよりもとれなくなっていたとき、不安の波にのまれかけていきました。すると、親に「寝る前に一時間、しっかり唱題しいや」と言われ、センター1か月前から毎日夜、寝る前に一時間唱題していくと、英語の過去問で7割は安定してとれるようになっていき、改めて勤行のすごさを実感しました。
このような経験によって僕は、何事も全力で取り組み、一生懸命祈っていけば達成できることを学びました。
 そして、大学に入ったらこの苦しくて大変だった一年間を無駄にしないように、一生懸命勉強し、木本先生がよく言われていたように社会の人材となり、池田先生が言われているように親孝行をしていきたいと思います。
 改めて、本当に創栄館の先生方、地区の方々、支えてくれたお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんに感謝をしています。ありがとうございました。
 
 追伸、これから創栄館で勉強される方々へ
 創価大学に行くために一番大事なことは、絶対に受かってやると思うことが大切だと思います。一度でも手を抜くとそこからどつぼにはまってしまうので最初から最後の合格発表があるまでが受験勉強なので頑張っていきましょう。僕も応援しますので、創価大学で会いましょう。

三重県出身 東出 大介

 私が、創栄館に入塾した当初は基本的な知識も乏しく、全てにおいて基礎からの始まりでした。英語の授業は、中学校英文法や高校1年生の時に習うような簡単なものでした。

 

しかし私は、意外と分からない問題があることに気づきました。それから間違えた問題を、理解するために先生に質問をしました。先生にいつまでも質問できる環境があるのは、非常に良かったです。なぜならば一人で勉強していて分からない問題があるとなれば、学習参考書だけでそれを理解しなくては、なりません。 

しかし、それを逐一していると膨大な時間が必要になります。加えて、ある程度できる人はいいですができない人にとっては、参考書だけで理解するのは、かなり困難だと思います。だから常に疑問を解決してくれる場所がある方が良いと思いました。

 

 創栄館は、創価大学専門予備校なので三十回以上の過去問を解きました。このような事をしてくれるのは、創栄館だけです。大手の予備校は、東大や京大などのような有名な大学に重きを置いているので、創価大学の対策講座や過去問を解いて解説などはありません。創価大学の入試は、センター試験のように同じ傾向の出題はありません。それに加えて、創価大学の入試では、センター試験と異なる問題があります。

 

例えば英語の文法的正誤問題がそれにあたります。しかも文法的な点で誤りだと指摘する問題もあれば、その単語の用法で指摘する二つのパターンがあります。どうすれば、この問題を解けるのだろうか。そこで過去問を三十回以上解いたことが本番で生きてきます。もちそん、やみくもにやっても意味は、ありません。先生がよく 「勉強をやっている振りをするような姿勢ではいけない」 と言われてきた事がこのような経験でよく分かりました。 

正誤問題も数をこなすうちに、どこに注目すればよいかというようなことを身につけることができました。なぜならば 「問一の答えは二番です。誤っている根拠はどこにありますか」 というふうにして生徒をあてるので、先生にあてられる前に根拠を探すという事に多くの時間をさくようになりました。

最初私は、予備校で先生がすぐに教えてくれたら時間の短縮にもなるし、それの方が効率的だと考えて根拠を調べたりする時間を無駄な時間だとみなしていました。しかし私が苦労して調べた知識と先生にすぐに教えられた知識では、前者の方が鮮明に覚えています。普通に考えれば、すぐに教えた方がいいように聞こえますが長い目で考えると自主的学習を取り入れた方が知識に残ることまで考えている先生は、いるでしょうか。このようにすばらしく熱心な先生が多いです。

 

 そして入試当日少し緊張はしました。しかし今年は、解いている時できる問題がたくさんありました。試験が終わった時に 「ここまでやって落ちても後悔はない」 と言いきれるくらいになっていました。誰でも、毎日勉強していれば必ず合格できると信じています。

簡単ですが創栄館での一年間を振り返り書きましたが、後に続く皆さん素晴らしい先生方を信じどこまでも付いて行ってください。間違いありません。

ありがとうございました。

富山県出身 別所 淳

 今回創価大学に合格することができました、創栄館の先生方、一緒に勉強して奮闘した仲間たち、私たちを応援してくださった地区の方々、そして両親にお礼申し上げます。本当に有難うございました。
 この合格体験を読んで創栄館でもう一度創大を目指そうと思ってもらえるようにこの一年を振り返って合格体験記を書こうと思います。
 わたしは、高校3年生の時、創大と、滑り止めのためもう一つ大学を受験していました。創大の不合格の通知を見たとき、そのもう一つの大学は受かっていたので、そっちの大学へ進もうと創大を諦め、だらけた生活をしていました。でもそんな中、やはり心の片隅で、悔しく後悔していました。ここで創大を諦めてしまえば自分の人生は諦め続ける人生になってしまう。また逆にここでもう一度挑戦して諦めのない挑戦し続ける人生にしたいと思うようになりました。
 ちょうどその頃、社会人の兄から創大専門の予備校があると、創栄館のことを聞いていました。しかし場所は山口県。私の実家のある富山からはかなり遠い所にありました。でも両親に自分の思いを伝えると、「これからの浪人一年は大学‘5年間の内の1年’と思って山口でしっかり学んで来いと言って送り出してくれました。
 
 最初に創栄館の木本先生から 「創大合格へのレールはしっかりと敷きますから、落伍しないようしっかり私の言うことを聞いて勉強し付いて来てください。」 と言われて、何が何でも合格したい一心で素直に勉強しました。
 
 初めは英単語と文法から始まる基礎中心の授業でした。創大の試験問題は過去問を何
度も解いていくとわかると思いますが、文法、語法中心に創大独自の基本文法の応用問題がとても多いのに気づくと思います。そのため、創栄館では中学の文法から始まりました。高校の時、受験のために他の塾で英語の基礎をしっかり勉強したはずでしたが、やはり、理解していない部分が多く見つかり、基礎英語を完成するのにとても大変な思いをしました。
 でもそのおかげでテストの点も少しずつ取れるようになり、6月の準2級を合格することができました。それで少し気が緩んだのか9月の終わりからテストの点数が急に悪くなりました。一時は英語の150点中69点の時もあり、先生が言われていた合格点105点にとどかず焦って不安になっていました。
 そんな時、大白蓮華5月号の御書の一節に「拙き者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」とのある一文に出会い、ハッとして、親との約束を忘れていた自分に気付きました。
自分に喝を入れ出された課題や、過去問をその日のうちに理解するように勉強しました。
 11、12月は皆んなもとても大変だったと思います。即ゼミを何度もテストして、漢文の小テストを全部で最低2回しました。現社は分からない所があれば徹底的に先生に質問しに行きました。英語の過去問でも、何度同じことを先生に聞きに行ったか分かりません。それでも先生は何度も同じ説明をしてくださいました。高校の先生に同じことを聞くと「自分で調べなさい。」と突き放された時とはまったく違い、理解する度合いが格段に違いました。そのうち質問しに行く途中で答えがわかったりすることもありました。 「質問とはわからない時だけに聞きに行くのではなく、理解したときにダメ押しで聞きに行くとより深く理解すること」 を覚えました。
今思えばこのようなことの繰り返しのおかげで、先生の出す過去問を見てこれは何回もやったことがある、「この前のテストで出た問題と同じだ」と分かるようになりました。解けるようになるまで繰り返し行われるテスト。苦労した後で力が付いてきたんだと思います。
 勉強だけでなく、日々の体調管理や細かい事にまで気を付けました。受験勉強の時期には手洗い、うがい、マスクの徹底。試験前日にはどれを着て、どれを食べてどれを持っていくかなど本当に細かな事まで事前に決めていました。そのおかげで不安なくベストな健康状態で試験に臨むことができました。そして毎日1時間の唱題にも取り組みました。
 
 私がこの一年間を通して得た一番大事なことは唱題と勉強の二つが大切だということです。先生から、唱題と勉強の両輪が大切だと言われて、どちらも諦めようと思ったことがありましたが、朝、昼休憩の時間、夜にコインランドリーで乾燥機を動かしている間など、空いている時間を利用して唱題したり、イディオムを見たりしました。
 その効果ははっきりと出ました。全学統一試験、現代社会で3、4番目の問題。最初、問題を見た時は絶対に解けないと思いました。しかし、選択肢を見たとき、一発で答えが分かったのです。しかも、その答えは今まで一度しか見た事がないものでした。英語でも、試験場に行く新幹線の中で見た文法がちょうど一番最初に出ていました。先生の言われた通り、「唱題をし、勉強をすれば必ず問題を解くことができる」先生の口癖でした。私は言われた通り実行しました。唱題の素晴らしさを実感しました。
 そして合格発表の日。一年前は全学統一、一般全て不合格でした。しかし今回は逆転して、すべてに合格することができました。合格するまで多くの方々に支えられてきました。特に、両親には、中学・高校時代苦労ばかり掛けました。申し訳ない気持ちです。
 
 創栄館の先生方。勉強のこと、信心のこと、創大のこと、色んなことを教えてくださり、またいつも私たちに叱咤激励してくださいました。
 地区のみなさん。いつも座談会で私たちを温かく迎えて励ましてくださいました。
 創栄館で一緒に学んだみんな。隣で、前で、後ろで一生懸命勉強している姿があったからこそ僕も一生懸命勉強することができました。
 そして「大学5年間の内の一年のつもりでいけ」と私を送り出してくれたお父さん、毎日1時間の唱題をしてさらに、最後の最後まで応援してくれたお母さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私の合格は支えてもらったみんなからいただいた合格だと思っています。多くの方々への、両親への感謝を胸に抱いて、先生との誓い、社会で活躍する人材となって恩返しするために大学の4年間、しっかりと学んでいきます。
ありがとうございました。
株式会社創栄
〒751-0833
山口県下関市武久町2-80-13
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学習塾
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