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合格者体験談

 「大空の飛び立つ若鷲のごとく思い切り乱舞せよ」という気持ちで皆さんを天空へ解き離します。毎年幾人もの人材を創大へと送り出すたびに思うことですが、「大きく育て」「世界の人材へと育て」と・・・。
 この11ヵ月間共に手を取り合い「泣き」「笑い」「励ましあい」目的はただ一つ創大を目指し頑張ってこられた皆さん方に、唯々頭の下がる思いです。
 創栄館の目指すものそれは人材を見つけて来るのではなく「人材を創る」ただこの一点にあります。今日まで755名の人材が集まり創大に送り出しました。北は北海道から南は沖縄まで人材の元となる鳳雛が集まってくれました。うれしい限りです。
 今後は、創大で思いっきり自分を磨き社会に貢献する人材となってください。
 尚、指導担当してくれた教師陣に感謝の気持ちでいっぱいです。毎年のことですが、夜遅くまで入試問題を検索し、気が付けば夜明けだったこともしばしばでした。おかげで英語において入試問題50問中33問がズバリ的中、一文一句違わず出題されていたのは、さすがプロとしか言いようがありません。受験した生徒たちも「時間を持て余した」といい、終わったときは、合格の確信に満ちていました。担当して頂いた先生大変ご苦労様でした。深く深く生徒に代わり感謝申し上げます。
 
最後に受験生に一言いっておきます。
 何度も受験に失敗して創栄館に入学された人に一様に言えることはテレビ勉強(テレビでの勉強のやり取り)等はお金の無駄としか言いようがありません。テレビでの勉強で失敗したら二度と手を出さずに、早めに勉強法を切り替えて下さい。
ガンバレ受験生!!
 

愛知県出身 松田 和真

この度、創価大学国際教養学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。

 

 僕は元来勉強嫌いで、部活を理由に敬遠し続けてきました。しかし、幸か不幸かそれでも、世間から見ればそれなりに褒められるような人生を送ってきました。その理由に、高校卒業後、知県の大手自動車産業に就職しました。当時の僕は慢心していました。「勉強なんて必要なかった。一生安定した給料が貰える。」そう思っていました。実際のところ、高卒の割には高収入でした。しかし働いていくうちに、自分にとって本当に大切なのはお金でも世間体でもなく、自分を成長させることだと気付きました。

「創価大学で自分磨きがしたい」

本当にただの直感に近いものでした。十八年間生きてきて一度も考えたことないのに、何故か無性にそう思いました。

 思い立ってからは早かったです。翌日には親の許諾を得て、会社に退職の意があることを伝えました。周囲からはもったいない、馬鹿すぎる等罵倒されました。

 退職時は、受験が半年後と迫っていた為、焦りと不安との戦いでした。勿論全力を尽くし、勉強に励みましたが、それまでの人生で勉強を蔑ろ(ないがし)にしてきた為、結果は不合格でした。その時、「あ、人生終わった」と思いました。

 

 そんな時に、偶然創栄館という存在を知りました。その塾が創価大学専門予備校であるということに驚き、直ぐに母親に教えました。母も思い立ったら即行動という性格なので、その日の内に創栄館に入学することが決まりました。

 そして、3月末から授業が始まり、気合を入れていた最中、何となく受験していた地元の大学から追加合格の通知が来ました。これ以上遅れることなく入学できる地元の大学に行くか、それとも一年勉強をし、落ちる可能性のある創価大学に挑戦するか、悩まされました。一晩考えた末、挑戦することに決めました。勿論逃げたい気持ちはありました。しかし、せっかく山口まで送り届けてくれた母に申し訳ない気持ちと、自分自身が創大で成長したい気持ちが勝り(まさ)ました。それに加えて、創栄館の先生方の親身に僕のことを考えてくれる姿を見て、残ることにしました。

 

 それからは真剣に勉強に取り組みました。春は、英語は英単語、社会は一冊で全範囲を網羅している参考書を一週間で割り、毎週読了することを心掛けました。それと並行して昼は授業を受け、分からない所は先生に質問をして、分からない所をなくすようにしていきました。国語に関しては、小説を読み込み、活字に慣れるよう努力をしました。すると夏頃には、英検2級を取得することができ、社会・国語に関してもそれなりに点数が取れるようになっていました。秋冬は苦手な範囲を虱潰し(しらみつぶ)にしていき、共通テスト、ハイブリット、一般入試と順調に進んでいきました。結果は努力の成果が実り、全試験で希望していた文系の全学部に合格することができました。

 

 僕の惰性に流されやすい性格に嫌気を指さずに付き合ってくださった創栄館の先生方並びに生徒の皆、家族には感謝しています。

 

 ここまで読んでくださった方へ

 今、合格体験記を読んでいるということは、少なからず何か失敗や挫折を経験し、苦労をしていることと思います。僕も含め、創栄館に来ている子は全員がそうです。もし、少しでも興味があるとしたら、今すぐ創栄館に電話してみてください。迷っている時間がもったいないです。あなたも、創栄館で創価大学を目指してください。そこに年齢や立場なんて関係ありません。これを読んでくれた子が創価大学に来てくれることを祈っています。

岡山県出身 山口 博美

この度、創価大学 法学部の合格を勝ち取ることができました。支えてくださった創栄館の先生方・家族・地域の方々・友人へ感謝をしてもしきれません。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。

 

私は中学時代いじめにあっていました。当時正義感だけが強く、言い返す勇気も共働きの両親に相談する勇気もありませんでした。週に一回は学校を休んでいました。もちろん授業に付いていけず勉強に対する意欲もありませんでした。勉強ができない事に諦めの心もありました。創価大学へ行くことは夢のまた夢と思っていました。


しかし高校一年生の夏に引っ越した先の学会員さんの息子さんが創栄館から創価大学へ行かれた方でした。創価大学でのお話や創大現役生の方々とお話する機会を頂き徐々に創価大学へ行きたいという気持ちが大きくなっていきました。オープンキャンパスに参加し創大生の方々の眩しいほどの笑顔や将来の目標・夢に向かって努力、向上心がある姿を見ると私も先輩方のように一人ひとりに寄り添い励ます人になりたいと思いました。また浪人してでも何が何でも絶対に創価大学で学びたいという強い意志を持つようになりました。現役時代も創価大学一本で英語検定などの資格を持っておらず創価大学・創価女子短期大学を受験しましたが、もちろん学力不足で不合格、追加合格も最後まで両親と祈り切りましたが連絡は来ませんでした。


直ちに創栄館へ入学したいという気持ちがありましたが、両親は一人っ子の私が県外の予備校で一人暮らしをすることを不安に思っていました。特に父が(笑)なので説得するためにも創栄館と県内の複数の予備校を全て見学・体験してから決める予定でした。


創栄館を紹介された学会員さんに「ホームページを見て決めるのではなく、まず観光がてら気軽に行って自分の目で見て先生のお話を聞き、心配なことは質問して来たら?」と言っていただき、まず初めに創栄館へ両親と祖母と四人で足を運ぶことを決めました。


木本先生や橋本先生のお話を聞き、入学前の私の学力は、英語は中学一年生のbe動詞・三単現などの範囲しか分からず単語は英検三級レベルがあるかないか程度、国語はセンター過去問3割程度、現代社会は一部の得意分野しか知識がありませんでした。また見学は四月に入ってから行ったので既に授業が始まっていると言われて、授業に付いていけるのか不安でした。


しかし創栄館は中学一年生の英語から始まり、分からなかったら小・中・高のように多数の生徒の中で手を挙げて質問するのではなく一人で先生方のおられる教室へ行き質問するという形式で分からなかったら放課後も分かるまで一対一で指導してくださると聞き自分に最適な勉強空間になると思いました。


私が創価大学に合格したキーポイントは二つあります。一つ目は、高校生の時は違う志望校を目指す人たちとの勉強であの子たちの志望校は私の志望校よりも難しく勉強に必死に取り組む姿を見ても他人事に捉えていました。そのように当時の私は他人と比較し苦手なことから逃げる癖がついていました。しかし創栄館では同じ目標を持った同志と日々切磋琢磨し合える環境にあったので勉強時間は緊張感を持ち集中でき、休憩時間は創大へ合格したら何学部に行く?やどこのサークルに入る?など夢を語り合っていました。


また信心面でも朝礼前・終礼後のみんなで呼吸を合わせる唱題や合否発表前の唱題会は私自身の信心の確信をより一層深めるものとなりました。


二つ目は、英検二級に合格できたことです。夏に英検準二級と二級をダブル受験して準二級は1900スコアで合格しました。しかし十一月の二級一次試験の合格発表日、私はすっかり忘れていました。なぜなら自分自身英検二級取得を諦めていたからです。しかし諦めていたからこそ私は発表日の二週間前から、もう英検が取れていないものだと思って英語力を上げることと創大の合格を一日一時間半は唱題しようと決めて挑戦していました。だから発表日に先生方から一次通過していることを知らされた時はとても嬉しかったです。それも合格ラインが、1980スコアのところ1990スコアのプラス1での通過、本当にぎりぎりで通過したのは祈りぬいた結果だと思っています。次は一か月後の二次試験に向けての挑戦へ変りました。私は入学時から試験慣れしておらず夏過ぎまで学校内の模試でさえも緊張してしまって無意識に力が入っていました。だから私は英語担当の橋本先生との二次試験対策の面接をした後、三好先生と外で発音練習や英文をすらすらと音読できるように寒い中外で練習し最後はもう本番で緊張しないように祈るのみと先生方に言われ受験生だからと言って勉強だけするのではなく唱題をすることによって歯車のように勉強効率も良くなっていっていたと思います。本番では練習していた質問が出てきて無事落ち着いて自分の力を発揮できたと思います。英検二級取得は短大では十割換算となり四日の試験ではお昼から国語を受験しに行きました。創大では七割換算されました。


英検二級取得した頃から唱題中に自分が創価大学で講義を受けている姿、自然が豊かなキャンパスを歩いている姿、高校受験のときの第一志望発表日泣いて帰って学力を下げて決めた母校で創価大学受験をサポートしてくれた先生と出会ったこと、全てあのいじめっ子がいなかったら創大を目指すことも、合格を勝ち取ることもできなかったなといじめっ子に感謝の気持ちと幸せになってほしいと祈るようになりました。


七日の一般試験が終わり八日から発表日の十七日まで三階の唱題室で日曜祝日以外は二時間唱題に挑戦し十三日は短大の発表日無事合格を勝ち取り、発表日の十七日を迎え合否発表を手が震えながら確認していきました。無事国際教養学部を含む希望した文系学部全て合格していました。母に報告するために日課のビデオ通話で母の顔を見ると涙が止まらず数分合否を伝えることができず、母は戸惑っていました(笑)


まだ明確な夢はありませんが、外交官やNGO職員、企業法務など創栄館で好きになった英語をグローバルな創価大学でもっと磨き海外で困っている人を助け、世界平和のお役に立つ人材になりたいと思っています。


最後に私にとって創栄館でしか経験できなかったあの貴重な日々は勉強面においても信心面においてもとてもかけがえのない宝物のような一年間でした。快く下関に送り出してくれた自慢の両親に、また一年間側で励ましのお言葉を掛けていただき、時には厳しいご指導をしていただいた創栄館の先生方、遠い地元岡山の地で諦めず激励や声援を送ってくださった地域の方々本当にありがとうございました。

岡山県出身 桑田 凌

 この度、2浪の末創価大学経営学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂き、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。


 僕は小学生ぐらいの頃から創価大学のオープンキャンパスに行く機会があり、子供ながらも「創価大学に将来行くんだろうな」と思っていました。中学校に進学し野球部に入部すると、その野球部の顧問の先生が創価大学硬式野球部のOBだったので、その顧問の先生から大学時代のことを話していただき、さらに強く創価大学に興味を持ちました。


 そして中学2、3年生の時の担任の先生も創価大学の卒業生の方でした。中学2年生の時に関西創価高校のオープンキャンパスに行き、校内を見学させていただいたり硬式野球部の練習を見学させていただいたりして、絶対にこの高校に行くんだと思っていました。しかし当時の学力はとても低く、受かることは不可能なのにも関わらず受験しました。もちろん結果は不合格でした。そのため地元の公立高校に進学しました。自分自身、文武両道を頑張ろうと思っていましたが、高校生活は野球に明け暮れる毎日で勉強することができませんでした。


 高校3年生でオープンキャンパスに行った際、先輩方の温かい激励を受け、さらに行きたいと思う気持ちが強くなりましたが、その時の僕は基礎学力がなく、このままではダメだと思いました。そこから本格的に勉強を始めましたが、その時にはすでにもう遅く、もうすぐ試験という状態でした。加えて周りの人は推薦で受かっていき、僕は進路が決まらない焦りがありました。試験には全力を尽くしましたが、勉強を全然していなかったため、結果は当然の不合格でした。


 その後は浪人するか就職するか迷っていました。しかし浪人するにはすごくお金がかかるため、浪人はせずに就職しようと思っていました。でも両親はどうにかして創価大学に行ってほしい、けれどどうしたらいいのかを困っているように感じました。そして高校の登校日、担任の先生に今後どうするのかを尋ねられ「浪人するなら塾や予備校を紹介するよ」とおっしゃいました。それから母親がネットで塾や予備校を探し始め、その中で創栄館を見つけました。母は合格体験記を読み、創栄館がいいと考えて僕に紹介してくれました。僕自身も創栄館のホームページを見て浪人することを決意しました。そして3月末に創栄館へと旅立ちました。


 創栄館到着翌日から勤行唱題、そして本格的な勉強も始まりました。4月から5月までは何回も英単語を覚えてはテストをするのを繰り返し行い、同時期に英検の過去問も解き、まずは英検準2級を取れるように勉強していきました。しかし、他の生徒たちは2級と準2級の両方を取れるように一生懸命勉強していて、その姿を見て自分も頑張ろうと思うものの、勉強がとても嫌いだったため、居眠りをしたりぼーっとしたりで勉強に集中できないときが多くありました。でも負けず嫌いな性格でもあったので、周りの人に差をこれ以上付けられたくないと思い、ひたすら英単語とイディオムだけを覚えました。


 その成果もあり何とか準2級は合格することができました。けれど、ほかの生徒たちは2級と準2級に両方合格している人ばかりで、自分が準2級に合格して喜んでいることが恥ずかしくなりました。


 6月からは現代社会と国語が始まり3科目になりました。比較的国語は好きだったので、問題を解いていくうちにコツを掴み、また、先生からのアドバイスで接続詞に印をつけながら読み進めると良いとも言っていただきました。これを実践してみると少しずつ点数が取れるようになっていきました。


 しかし、現代社会は国語とは逆で全く思うようになりませんでした。周りのみんなはどんどん覚えてテストをしていく姿を見て、焦る気持ちが大きくなっていきました。でも週に1回しかない現代社会をもっと大事にし、価値ある1日にしようと思って取り組むようにすると、ほんの少しずつ成績が上がり始めました。


 しかし、英語だけはいくら頑張っても全然伸びませんでした。夏から秋と時間が過ぎていき、12月になっても基礎が固まっていませんでした。そんな中で創価大学の過去問を解いても全然いい点数を取れるはずもなく、30点や40点、ひどい時には20点以下を取ることもありました。


 12月中旬ごろになっても文法が全然できず、ようやく文法をやり始めるぐらいでした。結果的に少しずつ成績が伸びていったものの、合格ラインの成績には一回も達することなく受験に挑みました。「なんとか奇跡よ起きてくれ」と思っていましたが、結果は不合格でした。


 自分の中では人生で一番勉強したと思いました。でも合格できず、すごく悔しいと思うと同時に将来自分はどうなってしまうのかと不安に襲われ、堪えきれずに気づいたら大量の涙がこぼれてきました。しかし、そのときまだ両親に報告をしていなかったので、ぐっと涙をこらえて電話をしました。母親が出た直後から母親は泣いており、僕もぐっと我慢していた涙が再びこぼれてきました。電話越しでしたがすごく申し訳ない思いがあふれてしまい、何回も「合格できずにごめんなさい」と謝りました。母親はずっと「いいよ。仕方ない、全力を出せたならいいよ。」と言ってくれました。


 電話を切ってすぐに先生たちと今後どうするか話し合いましたが決まらず、とりあえず追加合格を待つことにしましたが、自分の中で全力を出し切ったはずなのに後悔やもう一度挑戦して合格したいという気持ちになっていきました。母親に再び電話をし、ストレートにその気持ちを伝えました。父親にも「もう1回創栄館に行きたい」と伝えると、二つ返事で「わかった、頑張りなさい。」と言ってくれました。これでもう1浪することが決まりました。


 2浪目は徹底的に英語の基礎を固めようと先生とも話し合い、分からない所は先生に尋ねたり、参考書を読み基礎を固めていきました。しかし5月に行われるはずだった英検の試験がコロナ禍のため7月に延期になってしまい、その影響でモチベーションも落ちてしまいました。結局そのままズルズルといってしまい、絶対に取らないといけない英検も1次試験で落ちてしまいました。


 そこから危機感を感じるようになりました。心を入れ替え、もう一度参考書と英単語を覚えなおし、塾では先生おすすめの長文の教材を解き、解説をもらう前にどうしてこの答えになるのかを自分が納得するまで質問していくことで次第に長文も文法も点数が取れるようになりました。


 現代社会では周りのみんなと問題を出し合い、自分が分からなかった問題はノートにまとめて復習するようにしました。また、国語も英語と同じように「どうしてこの答えになるのか」を先生に教えて頂きながらも「どうして別の選択肢ではダメなのか」「自分はこう考えているんですけどどうですか」など、たくさんの質問をするようにしていきました。

ですが、春から夏まで頑張ったのに成績が伸びてこず、結果を出せない自分にイライラする日々が増えていきました。


 そんな時にふと、1浪目のある日の夜に母親に電話したことを思い出しました。そのときは、たまたま父親に代わってもらい、壁にぶち当たったときにどうするかを尋ねました。すると父親は「もっと壁を壊せるようにぶち当たる」と言いました。その時の僕は「何を言っているんだ」と思いましたが、この言葉を思い出したとき、父親なりに「頑張れ」と言っているのだと思い、もっと勉強する量を増やすことにしました。


 すると、みるみるうちに成績が伸びていき、10月にあった英検2級に合格。年末ぐらいには合格ラインぐらいの点数を取れるようになり、段々と自信がついてきました。


 そして迎えた共通テストもいつも通りの感じで受けることができました。そのあとのハイブリッド・一般試験も無事に終え、やり切った感や満足感、自信などがすごくありました。でもここで気を緩めてはいけないと思い、塾の上の階にある唱題室で祝日・日曜日以外は毎日朝10時から唱題し、帰宅後も1時間の合計3時間唱題をして受かるように祈ってきました。


 17日の合格発表の時は、すごく手が震えながら合否を確認しました。結果は自分がかけていた文系の学部は全て合格していました。合格を家族に報告したとき、母親は泣いて喜んでくれました。今まで諦めずに努力をやり続ければ必ず合格することができると改めて実感できました。


 創栄館での浪人生活は僕にとって、とても大きな財産になりました。この経験の中で勉強以外のこともたくさん学びました。今後の僕の人生にも多くの壁があると思いますが、創栄館で培った経験を糧に今後も頑張っていきます。


 最後に、僕を大きく成長させて下さった先生方、本当にありがとうございました。また、2年間熱い思いで僕を応援して下さった家族・友人・地域の方々ありがとうございました。

神奈川県出身 萩原 博美

 この度、2浪の末創価大学看護学部の合格を勝ち取りました。


 現役、1浪目と一歩及ばず心が折れて諦めかけましたが、それでも、どうしても創価大学の看護学部に行きたい、絶対に先生の創立された創価大学の看護学部に行き妙法の看護師になると心に決めて奮起し、絶対に合格すると決めました。


 2浪目を迎えるにあたり、山口県下関市に創価大学の専門予備校があるのを見つけ、自分の意志で赴きました。勉強はもとより生活も一新、一から出直すつもりでの受験生活が始まりました。慣れない土地で、勉強に励むとともに、自分自身とも向き合いながらモチベーションを高めていきました。


 まず、ここに来て始めたことは英検2級の試験勉強でした。主に過去問を繰り返し解きながらも、私は特にリスニングが苦手だったのでリスニング対策を強化していきました。英語の橋本先生に相談したところ、耳を慣らすための参考書とCDを貸して頂きました。これを毎日、時間を決めて、少しの時間でも聞いていきました。初めは全く聞き取れなかったのですが、徐々に耳が慣れ、内容が理解できるようになってきました。しかし、英検2級の試験結果はわずか10点ほど足らずで不合格。私はショックのあまり「英語をやりたくない」と先生にあたってしまいました。ですが、三好先生は真正面から受け止めてくれ、「絶対に花開くよ」と言ってくれました。その言葉を受け、これからどうやっていくかを橋本先生と話し合い、共通テストメインに切り替えました。英検2級は苦手なリスニングが原因で落ちてしまったので、共通テストに向けてセンターのリスニングの過去問を集中的にたくさん解き、本番までやり抜きました。長文に関しては速読が苦手だったので、本来は理科の先生である滝下先生にも相談して一緒に勉強するつもりで取り組んで頂きました。


 理科は得意でしたが、その中で生物より化学の方ができなかったので、その中でも一番苦手な計算をメインでやっていただきました。


 国語は読解力の不足が原因で伸び悩んでいたため、他の先生と相談し滝下先生にサポートをお願いしました。その結果、国語は徐々に向上し本番では力を出し切ることができました。


 12月に入り、創価大学の願書提出が始まった頃、2浪目ということもあり、父から他大学も併願したらどうかと言われました。私はそれを聞いて木本先生に相談したところ、先生に「絶対に大丈夫だ」と励ましの言葉を頂き、私はそこからさらに奮起しました。


 共通テストの当日は今までと違いとても緊張してしまいました。コロナ禍、そして初めての共通テストということもあり、試験慣れしていなかったからです。そのためか、得意であるはずの理科までも思うように解くことができず、自己採点をした結果、今まで取ったことのない点数を取りボロボロでかなり落ち込みました。それに加え、他の人たちと違い私は英検2級を持っていないので、「今回も落ちてしまう、このままではダメだ、それに後がない」と思い、かなり焦りました。


 その日から創価大学の入試までの2週間、生活を見直し朝5時に起床、1時間の唱題と1時間の自習をしてから創栄館に行き、先生から出される問題をひたすら解きました。最後は橋本先生に「あなたにはこれ以上出す問題がない」と言われるくらい勉強しました。帰宅してからは唱題をし、寝るまでの1時間さらに単語など暗記系を中心に勉強をして夜10時には寝るようにしていました。


 創大のハイブリッド入試と一般入試の日には、共通テストの時とは違い心が落ち着いていて、全てを出し切ることができました。


 試験結果が出るまで悔いを残さないようにお題目を上げ切り合格発表を待ちました。


 結果は、共通テストは不合格でしたが、ハイブリッドと一般で合格を勝ち取ることができました。


 私はこの1年間、何度もくじけそうになったり、辞めたいと思うこともありました。しかし、先生たちがそのたびに何度も励ましてくれました。なので、この合格は私一人ではできなかったことだと思います。


 今まで支えてくれた先生方、また、最後まで私の合格を信じて待ってくれた家族には感謝しかありません。


 最初は「山口県?!の予備校?!」なんて遠く離れた土地に行くのは嫌でした。しかし、今は思い切って山口県に来てよかったと思っています。創栄館に来なかったら、こんな素晴らしい結果にはなっていなかったと思います。


 私は必ず創栄館で努力したことや学んだことを創価大学に行っても忘れることなく「一生の宝物」として邁進していきます。

高知県出身 平瀬 義明

 この度、創価大学教育学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。


 僕が創価大学を目指すようになったきっかけは、高校2年時に参加したオープンキャンパスでした。創大生のとても明るい姿や生き生きとした表情を見て、僕もこのキャンパスで大学生活を送りたいと思い受験を決意しました。


 しかし、僕は何に対しても嫌なことから逃げる性格でこれまでいろいろなことから逃げてきました。それは受験に対しても言えることで、英語は高校時に好きになり、一番の得意科目になったのですが、国語と選択科目で選んでいた数学は壊滅的でした。その状況を自分で把握していたにもかかわらず、なぜか英語に逃げまくり英語だけを極めるということをしてしまいました(笑)。入試では英語7割、国語・数学は3割ほどという点数を取ってしまい、もちろん不合格でした。これは今だと笑い話になるのですが、当時の僕は本当にこんな性格の自分に失望していました。


 しかし、創価大学を諦められない気持ち、そしてこんな自分を変えたいという気持ちがあり、もう1年創価大学を目指し頑張ろうと決意しました。そんな時に、高校2年で参加した創価大学の夏期研修で出会った友人に創栄館のことを聞きました。その頃の僕の周りには創価大学を目指している知り合いはなく、創栄館という創価大学を目指している人がたくさん集まる場所があると知り、とても驚きました。さらに創栄館では毎朝晩勤行もすることを知り、ここなら人間的な面でも成長できると思い、両親にお願いして創栄館で浪人させてもらえることになりました。


 初めて親元を離れるということもあり、最初いろいろな不安がありましたが、創栄館の皆がとても暖かく迎え入れてくれ、その場の生活にもすぐに馴染めました。そして、4月から授業が始まりました。僕の最初の目標は、6月の英検2級で2300点以上を取ることでした。なぜなら、この点数を取ると創大のすべての入試で英語の得点が9割換算されるからです。英語担当の橋本先生から「基礎が一番大切」だと言われ、4月から油断することなく基礎に戻り、しっかりと固めていきました。その甲斐もあり、6月の英検1次試験で自己最高点を取ることができました。2次試験ではあまりうまくいかず点数を落としてしまい、目標の2300点には届きませんでしたが、2200点以上のスコアを取り、創大入試英語8割換算を獲得することができました。


 そして6月に入り、国語と現社の勉強が始まりました。ここからが僕には本当に辛かったです。しかし去年のことを思い出し、絶対に逃げない!!と決め、国語・現社両方ともしっかり勉強していきました。9月頃になり、現社は徐々にできるようになったのですが、国語の点数が全く伸びませんでした。そんな時に国語担当の三好先生に相談すると、新聞などを使って勉強するのもいいとアドバイスを頂き、その日から毎朝新聞を読む習慣を作りました。すると不思議なことに、国語の点数が伸びていきました。


 10月頃からは本当にメンタルとの戦いでしたが、周りで共に頑張っている同志の皆や先生方に支えられ、最後まで頑張り抜くことができました。


 最後になりましたが、ともに1年間頑張ってくれた同志の皆さん、僕を一生懸命指導してくれた先生方、応援してくれた両親、地域の方々一人一人に感謝の気持ちでいっぱいです。これから人々に貢献できる人材になれるよう、創価大学でしっかり勉学に励んでいきます。本当にありがとうございました!!

宮崎県出身 永友 陽子

 この度、創価大学看護学部に2浪の末、無事に合格することができました。
 
 私は、中学生のころまで大学に行こうという考えは全く持っていませんでした。なので、中学生のとき、周りの友達が将来大学に行きたいと言っているのを聞いて、なぜそこまで勉強をしたいのか全然理解することができませんでした。そんな自分の考えが変わったのは、高校受験に失敗したときでした。私の通っていた高校には看護科があり、小さいころからずっと看護師になることが夢だった私は自然と看護科に行くことを目指していました。
 
 ですが、自分はとにかく面倒くさがりな性格で、夢を語るだけで勉強には全く手を付けず、部活や習い事でさえどうやってサボろうかいつも考えているような人間でした。それで結果的に第1志望の看護学科ではない別の学科に通うことになりました。その後、高校1年の最初の時期は看護の専門学校に行くことを考えていました。そのとき、創価大学に看護学部が開設されたことを思い出し、すぐに創大のパンフレットを取り寄せました。私は小さいころから海外で活躍できる看護師になることがそもそもの夢だったので、パンフレットに載っていた海外研修があることや留学生が多く多様な文化や言語を学べることに強く関心を抱くようになり、創価大学に進学することを決意しました。
 
 しかし、前にも述べた通り全く勉強をせず、進学校でもなかったため、現役の時は落ちること前提で入試を受けに行きました。結果はもちろん不合格でした。この結果を見て、自分よりも親の方がショックを受けていたのを今でも覚えています。
 
 それから、インターネットで創大のことを色々と調べているときに偶然、創栄館のホームページを見つけて、合格体験談を読み、なにより創価大学専門の予備校があることにとても驚き、すぐに親や学校の先生に伝えました。そして、両親も承諾してくれ、創栄館での浪人生活がスタートしました。
 
 4月から授業が始まり、最初は英単語を覚えるところからでした。それまでは高校のテストで10個くらい出題される英単語をその時だけ覚えるということしかやっていなかったので、初め、単語帳を見たときは知らない単語だらけでした。その上、私は覚えるのが遅かったので初めて出会う単語にはかなり時間がかかりました。ですが、遅いなら遅いなりに無理に焦らず何度も繰り返し続けました。そのおかげでどんどん覚えることができました。英文法に関しては、高校でほぼ学んでおらず、高校の英語の授業ではいつも中学校レベルの英文をみんなで訳していくというやり方だったので、最初は名詞・副詞・関係代名詞・イディオムなど、その他大学入試に必要な文法分野全てが初めまして状態で、どの文法も違いを見分けられず同じに見えていました。そこで1浪目に使っていたNext Stage(英文法の参考書)に書いてある解説の意味すら理解できなかった私は、友達が教えてくれた別の問題集で理解して、それから、Next StageやPower Stage(同じく英文法の参考書)をするようになりしました。そうするうちに、徐々に点数が取れるようになっていきました。
 
 理科に関しても知らない事ばかりでした。私の場合は計算が大の苦手だったので、その分、化学基礎や生物基礎の知識問題で主に点数を取れるようにしました。そのためにも過去問で間違った所をノートに写したり、なかなか理解できない所は動画を見たり、重要な部分を紙に書いて壁に貼り付けたりしていました。
 
 そのように、コツコツと努力を続けることによって、自分でも気づかないうちにできるようになり自信がついていきました。英検2級に合格したことも自信に繋がりました。
 
 受験前は創大の過去問やセンターの過去問を毎日のように解いていきました。そのとき、徐々に点数が上がっていた英語でいきなり点数がガクンと下がり流石に焦りました。それからは、先生とどうすればまた点数が取れるようになるかを話し合い、速読の練習やもう一度英文法を見直すことを徹底していきました。そうすると、試験直前では7割以上点数が取れるようになり、創栄館に来たばかりの頃は、30・40点台だった自分がこんな点数を取れるようになったことに驚くと同時に、自信を持って受験に挑むことができたので良かったです。
 
 創栄館では、朝9時から全員で唱題をして、わが友に贈る・名字の言・寸鉄を読むことから一日が始まり、夕方5時にまた全員で唱題をします。他にも座談会や本館中継(同放)にも全員で参加します。私は今まで座談会などに参加しても、まともに御書講義すら聞いておらず、難しい話をしているな、ぐらいにしか思っていなかったのですが、創栄館に来て、同じ年の友人たちと活動に参加するうちに全ての学会活動に対する態度が変わり、ちゃんと話を聞くことが当たり前になったことは自分にとって大きな変化となりました。入試前の10日間で同じ看護学部を受けた友人と20時間題目を上げられたことも良い思い出となりました。
 
 1年を通して木本先生がお昼に何度もカレー・豚汁を作ってくださり、他にもおでんや瓦そば、おしるこ、そうめんなども作っていただきました。とても美味しくて、ありがたかったです。
 
 私は創栄館に来て、本当に多くの出会いや経験をすることができました。ここにきていなければ一生出会わなかったかもしれない全国から来た友人と創価大学合格という一つの目標に向かって切磋琢磨し合った2年間は一生忘れられないものになりました。
 
 中学生の時、定期テストの学年順位でいつも下から数えて上位だった自分が、夢のまた夢だと思っていた創価大学に合格できたのは、本当に最後の最後まで励まし続けてくれた木本先生、橋本先生、三好先生、滝下先生、2年間山口に送り出してくれた家族、応援してくれた地元の同志の皆さんのおかげです。
 
必ず世界を舞台に活躍できる人材になれるよう頑張ります!!
ありがとうございました!!

福岡県出身 太宰 悠介

 この度、創価大学法学部に合格することができました。
 
 私は小学校高学年から中学校卒業まで不登校でした。家では勉強することもなく、1人でゲームをしたり、テレビを見ることに時間を費やしていました。そのため、家族以外と会話することもなく、友達を作ることもなく、そのまま高校へ進学することになりました。進学先の高校は、不登校だった生徒でも卒業資格が取りやすい高校だったのですが、その高校でも不登校しがちで、必要出席日数の半分ほどしか出席していませんでした。欠席分は補習として受けていたのですが、補習を受けるにはお金が必要なのに加え、私立の高校だったので、親に多大な迷惑をかけてしまいました。
 
 高校生活も3学年になり、受験も近づいていたのですが、勉強は基礎もできていない状態だったので、模試を受けてもほぼすべての問題が解けませんでした。推薦入試を受ける時期になり、慌てて準備を始めたのですが、校内活動、スポーツやボランティアなどの活動を全くしていなかったため、次第に自信がなくなっていき、推薦入試は諦めてしまいました。周りが進学先や就職先を決めていく中、焦りと不安だけが大きくなり、あっという間に年が明け、センター試験と一般入試を諦めがてら受験しました。結果はもちろん不合格。浪人すればいいや、と軽く考えていたのですが、今考えれば甘かったような、正解だったような曖昧な気持ちです。前々から母の友人から創栄館の話は聞いていたので、親と話し合い、早い時期から創栄館での浪人を決意しました。
 
 ここまでで、学力、コミュニケーション力はとても低かったのですが、基礎的な国語力や社会性は身についていました。その大きな理由が姉の存在です。姉は創価大学に推薦で合格しており、不登校だった私に高校・大学で必要になることを詳しく教えてくれたり、読みやすい本をたくさん教えてくれたりなど、たくさん支援してくれました。今の自分があるのは姉の存在が一番大きいと思っています。
 
 創栄館に入り、人見知りの私にとっては勉強がうまくやれるか、周りの人とうまくやっていけるか心配事が尽きなかったのですが、先輩が定食屋さんに連れていって下さるなど、温かく迎えてくれ、私でも場になじむことができました。そして、4月に入り英単語を中心とした英語の勉強から始まりました。それから2ヶ月間ひたすら覚えて忘れて覚え、を繰り返しました。そして、5月に英検の練習問題をしたとき、前に比べ驚くほど英語の成績が上がっていました。後日受けた英検2級の1次試験には合格したのですが、本気で勉強していたのは最初の2ヶ月だけだったんだと思います。上がった英検の結果に満足し、勉強のペースは少しずつダウンしていきました。1ヶ月後の英検2次面接では不合格になり「慢心は身を滅ぼす」ことをここで深く思い知りました。創価大学の入試では英検2級の結果が2200点以上で英語8割分の成績になると聞いていたので、当時はとてもショックを受けました。しかし、もう一度英検を受けるチャンスはあったので、1週間後にはこの結果を忘れ、確実な英検2級の取得へ再出発しました。2回目の英検では、先輩に手伝ってもらい、ひたすら苦手な面接練習をし、2200点は取れませんでしたが無事合格し、自信をつけることができました。
 
 英検が終わり、次第に受験に向けての勉強に入りました。夏にも何度も過去問を解いていたのですが、秋・冬の時期になって成績もぐんぐんと伸び、テスト回数を重ねるごとに点数も上がっていたので、テストをすごく楽しく感じるようになりました。しかしその反面、普通の授業がとても苦しくなっていきました。不登校の影響から、授業を休むことも多くなり、参考書にも全く手を付けない時期もありました。しかし、そんな時期でも勉強ができる環境はありました。新しく入ってきた漢文の先生がとても親しみやすく、生徒の無茶ぶりにも付き合ってくれました。私はその先生に張り付いて、話ながら一緒に勉強してもらいました。その影響もあり、勉強もはかどっていきました。
 
 そして、新年を迎え、すぐにセンター試験が始まりました。創栄館の生徒と一緒に試験会場へ向かったので、それほど緊張はしていないつもりでした。しかし、受験に想定外なことは付きものでした。国語の解答時間が終わった直後、一部の回答がズレていることに気がつきました。書き直しができないため、生き地獄のような感覚を味わいました。次の英語では、あまり集中できず、後日の自己採点で、英語が6割を切っていて絶望しました。全学統一と一般の試験が残っているとわかっていながらも、この結果を忘れることができませんでした。
 
 試験前に10時間唱題をしていた私でしたが、一般入試の最終日が終わり、全く合格している気がしませんでした。すがるような気持ちで、結果発表まで御本尊様に祈るしかありませんでした。そして合格発表日、親と通話しながら一緒に試験結果を見ました。すると受験していた全ての学部で合格していて、心配していた分大きく心が躍りました。無事に合格を勝ち取ることができたことに喜びでいっぱいです。
 
 私はこの1年で精神的に大きく成長することができました。先述しましたが、私はこれまでの学校生活がほとんど不登校の日々だったので、部活をしたことがありません。人付き合いもあまり得意とは言えません。だからこそ、これからの大学生活はこれまでの青春時代を取り戻したいと思います。具体的には絵が好きなので美術部に入りたいです。法学部では地方公務員や司法書士を目指して勉強に励みたいと決意しています。また、寮生活などを通じて多くの友人との友情を育み、人前でも堂々と話せる人間力を身に付けていきたいです。
 
 最後になりますが、ともに戦ってきた生徒の皆さん、怠惰な私のせいで手を焼かせてしまった先生方、今まで迷惑を掛けながらも、今までずっと支えてくれた家族に心から感謝しています。不登校だった私でも立ち直ることができて、本当にうれしい限りです。これから社会に出て、恩返しができるように尽力します。今まで本当にお世話になりました。

福岡県出身 倉原 佑太

 このたび、3浪の末、創価大学経営学部・国際教養学部の合格を勝ち取ることができました。3年間支えて下さった家族、友人、創栄館の先生方、地域の皆様方に心から感謝申し上げます。
 
 高校時代の私は、池田先生が創立者である創価大学に行きたいという目的だけで志願し、あまり勉強もせず、推薦・センター・一般試験を受けました。結果は全て不合格で創価大学を甘く見ていたことを後悔しました。そのような過ちをしないと決め、親に頼み、1年という条件で高校の先生から聞いていた創栄館に入塾しました。
 
 しかし、私は英語の基礎も固まっておらず、ついていくことで精一杯で、11月頃にやっと成果が出始めました。しかしそこで慢心してしまい、成績が上がらず、そのまま受験に向かい、結果は不合格。浪人は1年という条件でしたが、駄目元で親に相談をし、もう1年チャンスを頂きました。
 
 経済的にも困難の中チャンスを頂いたので、無駄にできないと心に決め挑みました。2浪目の私は、英語の基礎を固めようと積極的に質問に行き、分からないところを潰していきました。6月頃になると段々と分かるようになり、少しずつ英語が楽しくなり、また自信にもつながりました。9月頃になると現代社会にも結果が出始めました。このまま頑張って合格ラインに達するまでになりましたが、センター試験の英語の際、全ての大問を解き終えたと思い待っていたところ、最後の見直しで大問1をやり忘れていることに気付いてバタバタと解いてしまい、思うような結果になることができませんでした。
 
 私はその失敗をバネに勉強に励みました。全統・一般はできたと思い、満足していたのですが結果は不合格。まだ追加合格があると信じ、毎日3時間唱題を上げたのですが追加合格もできませんでした。
 
 今後のことを考えていた時、母に「佑太、諦められないんでしょ。一緒に、皆に頼もう。」と言っていただき、まずは祖父を説得しました。祖父から「何の目的で創価大学に行くんだ、他の大学ではダメなのか。」と言われ、私は創価大学に行く理由、将来の目標を話し、納得してもらいました。また、家族全員がそこまで行きたいならと最後のチャンスを頂きました。
 
 そして3浪目、私は落ちた原因である苦手な国語を克服しようと努力しました。まず、現代文で分からない字は電子辞書で調べ、また、間違えた問題だけでなく合っていた問題においても何が根拠でこの答えになったのかを徹底的に復習しました。漢文においては、早覚えや漢文句法を何度もやりました。その結果、12月頃になって初めてセンターの過去問で8割近く取れるようになりました。また、英語においては英検2級を2回受け、2回とも合格、そして国際教養学部が受験可能となる2100点以上を取ることができ、自分自身に自信がつき始め、TOEICでも最終的に570点を取ることができました。木本先生から「孤独になった人が最後に勝つ」と言われていたので、私は孤独に勉強をし、昼も20分唱題、皆で3時に15分唱題、日曜日も塾で勉強しました。このサイクルを毎日続けました。
 
 しかし、センター・全統と焦ってしまい、思うようにはいきませんでした。ですが、ここで負けるかと一般試験に賭けました。最終日、英語の文法で今までやってきた過去問から出て、その際にこの3年間やってきて良かったと思いました。また、現代社会や苦手だった国語も解け、やり切ったと2浪目以上に心から思いました。
 
 その後、毎日10時間唱題を上げ、一般の合格発表日を迎えました。まず経済・法学を見ましたが不合格。しかし、国際教養・経営を見ると2学部とも合格していました。そのとき私はこの3年間に意味があったんだと思い、涙が止まりませんでした。
 
 そして、家族に報告した際には「3年間お疲れ様。よく頑張ったね。」と泣いて喜んでくれ、やっと1つ親孝行ができたと思いました。地区の方々も泣いて喜んでいたと聞き、家族だけでなく他の方々にも感動を与えられて嬉しかったです。
 
 最後になりますが、これから創栄館で勉強される人の中にも、もうダメかもしれないと思うときが来るかもしれませんが、諦めないで下さい。その際は、何のために創価大学を受けるのか、常に考え、また、初心を忘れなければきっと自分自身のやるべきことが明確になっていくと思います。私自身もこの受験の苦労を忘れず、今以上に努力し、必ず大成長し、家族・地区の方々、塾の先生方、支えて下さった方々に恩返しをしてまいります。そして、世界に貢献できる人材になります。共に頑張っていきましょう。応援しています。
 
Whatever happens, never give up to the end like me.
(何が起きようとも私のように決して最後まであきらめないで。)
 

島根県出身 梶谷 あかり

 私は創栄館で2年間浪人して、創価女子短期大学に合格することができました。
 
 私は勉強が嫌いでいつも逃げてばかりいました。中学ではまともに学校に行けず、高校ではまったく勉強をせずいつもクラスで下の方の成績でした。その頃の自分は大学というものがどういうものなのかあまり理解してないまま進路を決めていました。大学に行く理由も東京に行きたいからでした。そんな時、母親から「創価大学のオープンキャンパスに行かない?」と言われ、私は「創価大学って何?」と思いつつ高校2年生の頃オープンキャンパスに行きました。創大とは別の大学のオープンキャンパスにも行きましたが、創大に行ったとき、ここは何かが違うと思い、その時から創大に行きたい気持ちが強くなっていきました。それから高校で8時ぐらいまで居残り勉強をして受験に挑みましたが、もちろん不合格。ですが、悔しさも何もありませんでした。
 
 これからどうしようか考えていた時、叔母から「創栄館っていう塾があるから行こう」と言われ、状況が把握できないまま連れて行かれて、とんとん拍子に話が進み気付けば入塾していました。慣れない環境や初めての一人暮らしで最初は不安なことばかりでしたが、周りの先輩方や先生が話を掛けて下さり、ちょっと安心しました。それからは勉強の日々でした。それに加え、毎日朝晩15分の勤行・唱題もありました。もちろん勤行・唱題も勉強もこんなにやったことがなくて初日で疲労困憊し、こんな日が1年あると考えると逃げ出したくなりましたが、入ったからには途中であきらめるのだけは嫌で、頑張ると決めました。しかし、最初の単語の勉強から苦戦し、いくらノートに書いても頭に入ってこず、周りとの差が開いていくばかりでした。自分のできなさに嫌気が差し、焦りもあったせいでより勉強が手につかなくなっていました。
 
 試験に近づくにつれてテストの日々が続きましたが、皆のペースに追いつくのに必死で問題の内容を理解することを疎かにしていたため、思ったように点数が上がらず徐々に自信を無くしていきました。英検を2回受けましたがどちらも不合格。現実を突きつけられやる気をなくしかけましたが、最後までやり切ると決め試験に挑みました。
 
 いざ会場に行くと会場の緊張感のある空気に完全に飲まれてしまいリラックスできず、ケアレスミスを連発し、手ごたえを感じないまま全ての試験が終わってしまい、結果は不合格でした。
 
 でも、もうこれで勉強しなくて済むんだと思った時モヤモヤした気持ちになり、この気持ちは創大に合格しないと解消されないと感じ、もう1年頑張る決意をしました。ですがこのとき母に「3回目はない」と釘を刺されました。2年目ということもあり、今まで分からなかった自分に合った勉強法や要領がわかってきて自分のペースで勉強できるようになりました。2年目は英検に加えTOEICにも挑戦しました。そして無事に英検準2級に合格することができ、それが自信になりました。それからは、問題をちゃんと理解することに力を入れ、すごく初歩的な問題でも先生に質問に行きました。そしてこの年は、短大も受けることにしました。しかし、まだまだ創大に受かるほど学力が足りてなく、最低でも短大は受からなければと、途中で短大の過去問を主にやるようになりました。何度も何度もテストをして、出題傾向に慣れていきました。
 
 2年目の試験は1年目と比べ物にならないくらい、ほとんど緊張せず挑むことができ、晴れて創価女子短期大学の合格を勝ち取ることができました。私以上に周りの先生方や家族、地域の人たちが喜んでくださったことに喜びを感じました。そして、先生方、家族、地域の方々の応援あっての合格でもあります。たくさん心配を掛けました。でも期待に応えることができて、たくさんの人に支えられて、喜んでくれる人たちがいて私は幸せ者です。2年間ありがとうございました。『努力は必ず報われる』という言葉を胸に、これから先どんなことにも努力を怠らず、必ず胸を張って誇ってもらえる人材になれるよう頑張ります。
 
 最後にもう一度。たくさんの人に応援して頂き、支えて頂いた私は幸せ者です。先生方、家族、地域の皆さん、2年間ありがとうございました。

沖縄県出身 上地 洋一

 この度、1浪の末創価大学法学部に合格することができました。創栄館の先生方をはじめ応援してくれた地域の方々、ここに来させてくれた両親に本当に感謝しています。
 
 中学生のとき、創価大学駅伝部が初の箱根駅伝出場を果たしたことをきっかけに私も創価大学に行って駅伝部に入り、箱根駅伝に出場したいと思いました。高校で本格的に駅伝部として練習に励んできましたが、なかなか記録が伸びず年々レベルが上がっていく創価大学駅伝部を見て、私のレベルでは無理だと思い、箱根駅伝に出場するという夢は諦めました。
 
 しかし、創価大学へ行きたいという気持ちはなぜか変わらず、オープンキャンパスに参加したり、いとこや先輩達が創価大学に合格していく姿を見て、ますます行きたい気持ちが強くなりました。高校3年生の時、創価大学の推薦入試に挑戦しました。面接さえよければ受かるだろうという甘い考えだった私は、英語も英単語しか勉強せず文法などは一切勉強しないまま受験しました。結果は当然不合格でした。落ちた後どうするか考えてなかった私は、周りがどんどん進路が決まっていく中で早く進路を決めたいと思い、専門学校などいろいろ調べました。そんな中、知り合いの方が創栄館のことを教えて下さり、調べてみると創価大学専門の予備校とあり、塾長の熱い言葉や合格体験談などを見て、ここで浪人して創価大学に行くしかないと思いました。
 
 浪人という進路を決めた私は、周りに進路が決まって遊んでいる人がたくさんいたので、勉強をしたくなかった私もセンター試験や一般入試などは受けず、12月から3月まで遊び、勉強は全然しませんでした。
 
 4月から勉強が始まり、最初は6月の英検に向けてひたすら英単語や文法の勉強をしました。毎日英語でとても苦しいときもあり、英検2級に受からないといけないというプレッシャーに押し潰されそうになったこともありましたが、自分に負けないように朝晩の勤行と唱題をしっかりして頑張って乗り越えました。英検の前日には、初めて4時間の唱題をして自信をつけて本番に挑みました。結果は合格でした。2ヶ月間の勉強で英検2級に合格できたことはとても自信がつき、改めて努力すれば祈りは必ずかなうことを知りました。7月にはTOEICにも挑戦し、英語力の向上に力を入れました。9月の英検では、英検2級の2200点以上での合格を目標に頑張りました。この点数をとれば創大の全統・一般入試の英語が8割換算されるからです。しかし、取りたいという気持ちはあったものの正直今のレベルでは取れないだろうという諦めの気持ちもあり、中途半端な気持ちで勉強や唱題をしていました。結果は、筆記で合格したものの前回受けた英検より点数は低く、2200点を取ることはできませんでした。この時期から創大に合格出来るだろうかという不安に襲われ、11月と12月はとても苦しかったことを覚えています。テストをするごとに点数が下がっていき、なぜこのような状態になっているのか原因を探すのに必死でした。原因はシンプルで、唱題ばっかりやって肝心な勉強を疎かにしていたことでした。私は小学生のころから毎朝勤行と唱題をしていて創栄館に来てからは夕方も勤行と唱題をするようになり、唱題さえしとけば何とかなるだろうという甘い考えを持っていました。
 
 このままではいけないと思い、勉強により一層力を入れるため朝早く起きて創栄館に行って勉強をし、朝晩の勤行と唱題もしっかり継続しました。その結果、1月に入ってようやく点数が伸び、センター試験直前になって、今までの不安を自信に変えることができました。しかし、センター本番では自分の思うような点数が取れず全統と一般入試で合格を勝ち取ることに気持ちを切り替えました。試験前には創栄館全員で2日間に分けて10時間唱題を行い、受験に挑みました。手応えは、正直現社はできたけど英語と国語に関してはあまり手ごたえを感じませんでした。
 
 楽しみと不安な気持ちで合格発表を迎え、センターと全統の結果を見ると、センター試験では受験した4学部全て合格していて、全統は3学部合格しました。予想以上の結果に嬉しすぎて泣きました。3日後の一般入試の合格発表も4学部全て受かって、これも予想以上の結果でした。何よりも合格の報告を両親・親戚・地域の方々にできたことがとても嬉しくて、応援して頂いた恩返しができてよかったです。合格発表の翌日、創栄館の橋本先生から電話で呼ばれ、行ってみるとふるさと奨学金の書類が届いていました。中を見ると採用通知が入っていて、奨学金も得ることができました。合格だけでなく奨学金も得ることができて、最高の親孝行ができたし、今までやってきた勉強や唱題は無駄ではなかったんだと実感することができました。
 
 この1年間浪人して、自分自身大きく成長できたし、信心の原点にもなりました。これから創栄館に入る受験生は、勉強面と信心面をしっかり両立させて、合格を勝ち取ってください。そして、両親や親戚、地域の方々に感謝の気持ちを持ってしっかり恩返しして下さい。創価大学で待っています。
 
 改めて、創栄館の先生方本当にありがとうございました。創大に行っても自分の夢に向かってこれからも努力し続けていきます。

静岡県出身 田中 勇希

 この度、創価大学教育学部に合格することができました。
 僕には生まれつき足が不自由な弟がいます。弟はこれまでの人生のほとんどを病院で過ごしてきていて、数多くの手術をしてきました。しかし、僕はこれまで弟の悲しそうな顔を一度も見たことがなかったのです。本当はすごく辛いはずなのにお見舞いに行くたび笑顔で逆に僕が勇気をもらっていました。僕は高校1年生の時に決めました。毎日笑顔を忘れないということ。弟の頑張りが僕の生きがいになっていました。
創価大学を目指すようになった大きな理由も弟に僕の頑張りで勇気と希望を与えようと思ったのがきっかけでした。しかし、高校生活は野球の部活動に明け暮れる毎日で、勉強への執着心はほぼゼロでした。
この生活リズムの中で高校3年生になり、夏の大会も終わり受験シーズンへと進むことになりました。このままではダメだと思った時にはもう遅く、季節はもう冬で1ヶ月後にはセンター試験という状態でした。結果は、当然不合格でしたが、創価大学以外で受けた大学に合格していました。しかし、何か心に引っかかるものがあり、創価大学を諦めきれない思いが強くなりました。そんなとき相談相手になってくれたのが、地元の友人、地区の学会員さん、そして何より家族でした。多くの方々の厚い応援を胸に、ある日見つけた創栄館へ旅立ちました。「創価大学に行きたいだら、なら行くしかない」と応援してくれた家族には感謝してもしきれません。
 
 そして創栄館に入校しました。最初は、朝晩に勤行唱題があることに驚きました。僕は高校3年生まで勤行も覚えていなかったし、唱題も親に勧められてやっていたのです。そこで、12時と15時の休憩時間も唱題室に上がり、唱題することを決めました。このように唱題と勉強を両立して生活しようと思えたのも先輩方が背中で引っ張ってくれたおかげです。
 
 勉学面では、4月から6月は必死になって英語の基礎となる英単語と英文法に重きを置いて勉強に励みました。その甲斐あって、夏には英語力に磨きがかかってきたという実感を持てました。さらに、英検2級にも合格できたことが僕にとって大きな自信に繋がりました。
 
 この喜びもつかの間で、新たな悪夢が僕を襲いました。それは母の病気です。これまで母は一度も病にかかったことがなく、元気な母だったのですが、突然の病に僕は自分自身に情けなさと申し訳なさを感じました。母の病気は僕のせいだと思い込み、勉強に手がつかず、母が心配で泣いてばかりの日々を送っていました。そんな時、心の支えとなったのが、創栄館の仲間・先生方、地域の方々です。僕はこのようにお互いに支え合うことができるのも創栄館だからこそだと思います。多くの困難も創栄館の先生方、仲間そして地域の方々の支えがあって乗り越えることができたと思います。
 
 夏も終わり受験が徐々に近づいていると感じる10月、英語と現代社会に関しては苦手な分野や解らないところを深く掘って先生方に質問に行きました。そのおかげで、僕が目標としている点数を維持できていました。勉強をする中で大事なのは質問だと思います。解らないことを素直に訊きに行き、理解を深める。これほど効果的な勉強をしないのはもったいないと感じます。ですが、英語と現代社会は順調でも受験は総合戦です。僕は国語が大の苦手でした。なかなか点数も伸びず、不安と葛藤の日々でした。センター試験直前の模試をやった際にも、合格点よりはるかに下で、直前期の僕には大きなダメージでした。
 
 しかし、ここで諦めて点数が取れないのと、諦めずにやって点数が取れないならどっちだと考えて、やっと吹っ切れました。センターの2日前までで、過去問を10年分ほど解いて読解のパターンを攻略することができ、本番で予想もしていなかった点数を取ることができました。総合的な点数では目標の点数には届かなかったのですが、結果として合格を勝ち取り、ふるさと奨学生にも選んでいただき、やり切ったという達成感がすごくありました。また、全学・一般も受験した全ての学科で合格を勝ち取ることができました。
 
 創栄館での浪人生活は、僕にとって本当に価値のある経験だったと思います。この経験の中には勉学だけでなく幅広い分野で学ぶことがたくさんありました。勉学の面では、少しずつでも継続して勉強すること、最後の最後まであきらめずやり切ること。「継続は力なり」という言葉はとても当てはまると思います。勉学以外では、お互いに切磋琢磨していける仲間の大切さ、家族や周りで支えてくれる方々の存在です。また、先生方には何事にも目的・目標の大きな柱を立てることが大切だと教わりました。今後の人生にも壁は僕を待ち構えていると思いますが、創栄館で培った経験を糧に、今後も日々精進していきます。
 
 最後に、信心の面でも勉学の面でも大きく成長させていただいた先生方、本当にありがとうございました、また、1年間熱い思いで応援し支えて下さった家族・地域の方々、本当にありがとうございました。

三重県出身 角田 麗

 この度私は三浪の末、創価大学看護学部に合格することができました。三年間私を支えてくださった家族、創栄館の先生方・仲間、地域の方々に心から感謝申し上げます。
 
 私は高校二年の冬に父を亡くしました。父は未入会で、子供たちに学会活動を強制しなかったため、私は高校三年の春まで創価学会や創価大学という名前を知りませんでした。
 
 そんな私が創価大学を目指すきっかけとなったのは、母に誘われた創大のオープンキャンパスでした。それまで何校かのオープンキャンパスに参加しましたが、どこに行っても全学生・職員が笑顔で挨拶してくれる大学は創大しかなく、私もこの中の一員になりたいと思うようになりました。また、私は幼いころから海外に興味があり、看護師も目指していたため、海外への看護研修が充実している創大の看護学部は、私のやりたいことがすべて詰まっている大学だと思いました。しかし、創大を目指すといっても周りに創大を受験した人がいなかったため、受験勉強は手探りで、過去問を解ける実力もない当時の力では合格から程遠く、結果は『不合格』。その時に思ったことは「あぁ、やっぱりな。」でした。合格発表後、進路に悩んでいた時に母から創栄館を勧められました。私はすぐに創栄館に行くことを決意しました。
 
 創栄館に入学する際、木本先生から毎日、勤行唱題をやるように言われましたが、今までやったことがない私にとって毎日の勤行唱題は苦痛以外の何物でもありませんでした。スピードにはついていけず、経本の読み方もわからない。その時経験したのは『恥』でした。そこからはアパートで経本を読む練習と唱題時間を一分ずつ伸ばすことに専念しました。これを始めてから一週間で自分でもびっくりするような出来事が何度か起こり、少しずつ御本尊様を信用するようになりました。しかし私は飽き性のため、半年ほどで熱が冷めてしまいました。そこから落ちていくのは一瞬でした。休む日が増え、成績も上がらずストレスしか感じませんでした。友人が家に来て激励をしてくれても返事だけで心の中では面倒くさいとさえ思っていました。そしてその状態のまま試験の日が来てあっという間に結果発表の日になり結果は『不合格』。そこで初めてこのままではだめだと思い、母にもう一年頑張りたいと創栄館に残ることを説得しました。
 
 二浪目になってから先輩として後輩の面倒を見なくてはならないと思い、後輩からおせっかいと思われるようなことまでしていました。そのくせ授業中には居眠りをし、木本先生から喝を入れられるまで気付かないという失態をおかし、反面教師の先輩だったと、とても後悔しました。そこから居眠りもなくなり成績も上がるようになりました。また、自分は先輩でも後輩でもないと思うようなると一気に気が軽くなり勉強にも集中でき、ほかの人のことも気にならなくなり、自分にとって良い方向に向かっていました。しかし、試験当日は思ったように行かず、本来の実力の半分も力を出せずに結果は三度目の『不合格』でした。この時の私は現実を直視することができず、みんなの前でカラ元気にふるまうしかありませんでした。友人も後輩たちも合格していく中で一人だけ取り残された感覚でした。そして、三浪するかどうかの壁にぶつかりました。最初はもうやりたくない。こんなに苦しい思いはもう嫌だと三浪に対してだけでなく、創大進学に対しても否定的になっていました。そんな時、創栄館でとても仲の良かった友人に「私の体験談を読んでほしい。麗にあてたようなもの。」と言われ読んでみると、彼女の体験談の最後に【これから創栄館で勉強される方へ】とありました。私はこの文を読んで「もう一度頑張れるかな。やってみようかな。」と思うようになりました。そこから三浪すると決意し、家族を説得するまでの期間は自分でも驚くほど速かったです。
 
 三浪目は毎月TOEICに挑戦し、また英検二級にも二回挑戦しました。創大の受験勉強をする中でこの二つの受験はとても意味のあるものでした。一つは、試験慣れです。私は試験本番に緊張のし過ぎで本来の力を出せない傾向にあります。しかし、この毎月の試験のおかげもあり、全統や一般入試では落ち着いて程良い緊張感の中で試験を受けることができました。二つ目は英語力の向上です。毎月試験があるということで、自分の中で絶対に点数を上げなければならないというプレッシャーがありました。また、創大には外部の英語試験を入試の英語点数に換算する制度があり、このことも点数を取らなければならないというプレッシャーになりました。ですが、これらのプレッシャーが三浪の私にとても良い結果をもたらしました。TOEICでは五月に445点だったのが九月には595点にまで上がり、英検二級に関しては2268点と英語の得点換算率90%を貰うことができました。
 
 また、三浪目は信心面でもとても成長することができました。私はかなりのネガティブ思考だったのですが、今年は脱ネガティブと決め、常に良いことを考えるようにしました。すると、起こることすべてが良い方向に流れ始めました。そして、自分がこのように考えられるようになったきっかけを与えてくださった御本尊様に毎日感謝するようになりました。また、今までの失敗があるため今年は毎朝創栄館の仏壇掃除を行いその際に一日の決意をする習慣をつけました。この仏壇掃除は先生からお願いされた仕事でしたが、自分にとても良い影響を与えてくれたと思っています。そして、木本先生から唱題後に「あんたの唱題の声すごいね。絶対に功徳が現れるよ。」と言われ、とても嬉しく、またその言葉が自信に繋がりました。さらに、私はこの信心を通して苦手分野でも得意分野に変わるということを証明することができました。私は高校生の時から生物基礎が苦手だったため点数も低く勉強すること自体億劫でしたが、苦手だからやらない、点数が上がらないからやらなくていいというのではなくまずはやってみる。というように意識を変えると、分からないことを理解できていくのが楽しくなり、一般入試では生物基礎が自己採点で満点を取ることができました。
 
 これから創栄館で勉強をする人の中で、おそらく私のように「苦手だから」「点数が取れないから」という理由で勉強に身が入らなくなる人もいるかもしれません。しかし、やってみなくては何も変わらない。前やってダメだったから次もダメだなんて思わないでください。人は必ず成長します。それは信心も同じです。私は創栄館で初めて信心のすばらしさを身をもって体験しました。
 
 このような素晴らしい経験をさせてくれたお母さん、創栄館の先生方に改めて感謝申し上げます。
 
 必ず創価大学で人材となりますので、これからも応援よろしくお願い致します。
 

卒業生 山本 肇

 私は5年前、先生と約束しました。創栄館での1年間のことを書くことが、とても恥ずかしく書く気になれませんでした。それというのも、私は中学校しか出ておらず、とても大学なんかに行ける身ではありませんでした。私の家は貧しく、高校・大学なんてとんでもありませんでした。
ある時、私が会合に出ていたらたまたま木本先生にお会いすることができました。そのとき、私は何も食べておらず青い顔をしていたそうです。「君、お腹がすいているのだろう」と問いかけられ思わず「はい」と言ってしまいました。先生は私を連れて先生の自宅に招かれました。その時のことを今でも忘れません。奥さんの手料理を腹一杯ごちそうになりました。
 「君は今何をしているの?」と聞かれ「中学校を出て、今、運送屋さんで荷物の仕分けをしています」と答えるのが一生懸命でした。そのときはまだ予備校の人とは知らず、何かこの人は父親のような気がしてなりませんでした。
 
 2度目にあったのが12月の終わりごろでした。先生の自宅にお邪魔し、いつの間にか私の生い立ちを話していました。せめて高校ぐらいは行きたかった事や、勉強をしたくて今でも中学校の教科書を出して勉強していること等を話したところ、先生は英語・国語・数学の教科書を出してこられ、「これで勉強しなさい。解らない所は教室へ尋ねてきなさい」とおっしゃいました。
 
 見るもの全て新しくさっぱりわかりませんでした。英語が少しわかる程度でした。数学がさっぱり解らず創栄館を初めて訪ねました。残念ながら木本先生は出張で不在でしたが、他の先生が出てこられ「ああ君か、聞いているよ」と言われ、分からない所を全て教えてくださいました。
 
 年末、木本先生から呼び出され「君、大学に行く気はないか」と切り出されました。いきなりのことで目が飛び出しそうになり、腰が抜けそうになりました。しかし、先生は本気です。
「先生、僕にはお金がありません。高校にも行っていません。」
すると先生は真顔で
「高校や大学は金が有り余っていくところではないよ。苦労して行く所に意味があるんだよ。そうすれば必ず人材になれる。素晴らしい人間になれる。」
その言葉がとても新鮮に聞こえました。僕は先生に全てを賭けてみたいと思いました。ですが、大学に行く財力が私の家にはない事ぐらい自分が一番よく知っています。
先生が自宅に来られ、母と私を交え真剣な話し合いをしました。
大学は何のために行くのか。大学卒業後何になりたいのか。どんな人材になりたいのか等、話し合いが終わったのは朝方でした。母は納得してくれたのですが、お金の面で躊躇していました。アルバイトをしてでも大学に行きたいと母に伝えると、母はやっと承諾してくれました。私は決意しました。
「絶対に創大に行く」と。
 
年間のスケジュール表が渡されました。7月までに高卒認定卒業、12月中に高校卒業程度終了となっていました。
私は先々の不安でいっぱいでした。そんな私を見て先生は「先生の指示通りにしなさい。そうすれば必ず合格するように力をつけてみせます。」とおっしゃいました。先生のその言葉を信じました。
それから毎日猛勉強でした。朝、家を出る前、母と弟と3人で勤行・唱題を心ゆくまで題目を上げ、一日の出発です。母はからだが弱く、弟は小学4年生です。私が倒れると家庭は成り立ちません。創栄館にもお金を払わなくてはいけません。
「月謝はいくらですか」と尋ねたところ会計の方は答えてくれません。木本先生に聞くと「そうだな。いくら払える」と逆に聞かれる始末。「3万円しか払えません」と言うと、先生は笑いながら「いいよ、それで。」・・・決定です。しかし、まさかこのお金を全額郵便貯金していただいていたとは知りませんでした。
 
大学合格通知が届いたとき、貯金通帳と印鑑・カードを渡され、中を見てびっくりしました。今まで支払った授業料全てが貯金されていました。涙が出て止まりませんでした。
「このお金でお母さんと一緒に入学式に行きなさい」
と先生がおっしゃいました。
さらに、その後、入学金・入学後の必要経費全ての段取りまでして下さり、晴れて母と弟と3人で入学式に出席することができました。本当にありがとうございました。先生に会えての私の人生です。見事に花開きました。創栄館の1年間はとても素晴らしく、苦しい中に楽しい日々で充実した1年間でした。
現在、私は創大卒業後、違う大学で先生と約束した通り世界を駆けまわる人材に成長するため、今、学と人格を磨き鍛えています。先生と約束した通り、人のために尽くすことのできる人間になれるよう自分を磨いています。
先生、いつまでもお元気で人材を作り上げてください。
 
令和元年10月1日
山本 肇
 
株式会社創栄
〒751-0833
山口県下関市武久町2-80-13
TEL:083-254-2327
FAX:083-250-6827
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