合格者体験談
山梨県出身 飯窪 来
福岡県出身 植木 杏優
佐賀県出身 齊藤 偉
福岡県出身 高濱 義弘
福岡県出身 真島 遼太郎
福岡県出身 神原 美樹
福岡県出身 S・Y
愛知県出身 松田 和真
この度、創価大学国際教養学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。
僕は元来勉強嫌いで、部活を理由に敬遠し続けてきました。しかし、幸か不幸かそれでも、世間から見ればそれなりに褒められるような人生を送ってきました。その理由に、高校卒業後、地元愛知県の大手自動車産業に就職しました。当時の僕は慢心していました。「勉強なんて必要なかった。一生安定した給料が貰える。」そう思っていました。実際のところ、高卒の割には高収入でした。しかし働いていくうちに、自分にとって本当に大切なのはお金でも世間体でもなく、自分を成長させることだと気付きました。
「創価大学で自分磨きがしたい」
本当にただの直感に近いものでした。十八年間生きてきて一度も考えたことないのに、何故か無性にそう思いました。
思い立ってからは早かったです。翌日には親の許諾を得て、会社に退職の意があることを伝えました。周囲からはもったいない、馬鹿すぎる等罵倒されました。
退職時は、受験が半年後と迫っていた為、焦りと不安との戦いでした。勿論全力を尽くし、勉強に励みましたが、それまでの人生で勉強を蔑ろにしてきた為、結果は不合格でした。その時、「あ、人生終わった」と思いました。
そんな時に、偶然創栄館という存在を知りました。その塾が創価大学専門予備校であるということに驚き、直ぐに母親に教えました。母も思い立ったら即行動という性格なので、その日の内に創栄館に入学することが決まりました。
そして、3月末から授業が始まり、気合を入れていた最中、何となく受験していた地元の大学から追加合格の通知が来ました。これ以上遅れることなく入学できる地元の大学に行くか、それとも一年勉強をし、落ちる可能性のある創価大学に挑戦するか、悩まされました。一晩考えた末、挑戦することに決めました。勿論逃げたい気持ちはありました。しかし、せっかく山口まで送り届けてくれた母に申し訳ない気持ちと、自分自身が創大で成長したい気持ちが勝りました。それに加えて、創栄館の先生方の親身に僕のことを考えてくれる姿を見て、残ることにしました。
それからは真剣に勉強に取り組みました。春は、英語は英単語、社会は一冊で全範囲を網羅している参考書を一週間で割り、毎週読了することを心掛けました。それと並行して昼は授業を受け、分からない所は先生に質問をして、分からない所をなくすようにしていきました。国語に関しては、小説を読み込み、活字に慣れるよう努力をしました。すると夏頃には、英検2級を取得することができ、社会・国語に関してもそれなりに点数が取れるようになっていました。秋冬は苦手な範囲を虱潰しにしていき、共通テスト、ハイブリット、一般入試と順調に進んでいきました。結果は努力の成果が実り、全試験で希望していた文系の全学部に合格することができました。
僕の惰性に流されやすい性格に嫌気を指さずに付き合ってくださった創栄館の先生方並びに生徒の皆、家族には感謝しています。
ここまで読んでくださった方へ
今、合格体験記を読んでいるということは、少なからず何か失敗や挫折を経験し、苦労をしていることと思います。僕も含め、創栄館に来ている子は全員がそうです。もし、少しでも興味があるとしたら、今すぐ創栄館に電話してみてください。迷っている時間がもったいないです。あなたも、創栄館で創価大学を目指してください。そこに年齢や立場なんて関係ありません。これを読んでくれた子が創価大学に来てくれることを祈っています。
岡山県出身 山口 博美
この度、創価大学 法学部の合格を勝ち取ることができました。支えてくださった創栄館の先生方・家族・地域の方々・友人へ感謝をしてもしきれません。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。
私は中学時代いじめにあっていました。当時正義感だけが強く、言い返す勇気も共働きの両親に相談する勇気もありませんでした。週に一回は学校を休んでいました。もちろん授業に付いていけず勉強に対する意欲もありませんでした。勉強ができない事に諦めの心もありました。創価大学へ行くことは夢のまた夢と思っていました。
しかし高校一年生の夏に引っ越した先の学会員さんの息子さんが創栄館から創価大学へ行かれた方でした。創価大学でのお話や創大現役生の方々とお話する機会を頂き徐々に創価大学へ行きたいという気持ちが大きくなっていきました。オープンキャンパスに参加し創大生の方々の眩しいほどの笑顔や将来の目標・夢に向かって努力、向上心がある姿を見ると私も先輩方のように一人ひとりに寄り添い励ます人になりたいと思いました。また浪人してでも何が何でも絶対に創価大学で学びたいという強い意志を持つようになりました。現役時代も創価大学一本で英語検定などの資格を持っておらず創価大学・創価女子短期大学を受験しましたが、もちろん学力不足で不合格、追加合格も最後まで両親と祈り切りましたが連絡は来ませんでした。
直ちに創栄館へ入学したいという気持ちがありましたが、両親は一人っ子の私が県外の予備校で一人暮らしをすることを不安に思っていました。特に父が(笑)なので説得するためにも創栄館と県内の複数の予備校を全て見学・体験してから決める予定でした。
創栄館を紹介された学会員さんに「ホームページを見て決めるのではなく、まず観光がてら気軽に行って自分の目で見て先生のお話を聞き、心配なことは質問して来たら?」と言っていただき、まず初めに創栄館へ両親と祖母と四人で足を運ぶことを決めました。
木本先生や橋本先生のお話を聞き、入学前の私の学力は、英語は中学一年生のbe動詞・三単現などの範囲しか分からず単語は英検三級レベルがあるかないか程度、国語はセンター過去問3割程度、現代社会は一部の得意分野しか知識がありませんでした。また見学は四月に入ってから行ったので既に授業が始まっていると言われて、授業に付いていけるのか不安でした。
しかし創栄館は中学一年生の英語から始まり、分からなかったら小・中・高のように多数の生徒の中で手を挙げて質問するのではなく一人で先生方のおられる教室へ行き質問するという形式で分からなかったら放課後も分かるまで一対一で指導してくださると聞き自分に最適な勉強空間になると思いました。
私が創価大学に合格したキーポイントは二つあります。一つ目は、高校生の時は違う志望校を目指す人たちとの勉強であの子たちの志望校は私の志望校よりも難しく勉強に必死に取り組む姿を見ても他人事に捉えていました。そのように当時の私は他人と比較し苦手なことから逃げる癖がついていました。しかし創栄館では同じ目標を持った同志と日々切磋琢磨し合える環境にあったので勉強時間は緊張感を持ち集中でき、休憩時間は創大へ合格したら何学部に行く?やどこのサークルに入る?など夢を語り合っていました。
また信心面でも朝礼前・終礼後のみんなで呼吸を合わせる唱題や合否発表前の唱題会は私自身の信心の確信をより一層深めるものとなりました。
二つ目は、英検二級に合格できたことです。夏に英検準二級と二級をダブル受験して準二級は1900スコアで合格しました。しかし十一月の二級一次試験の合格発表日、私はすっかり忘れていました。なぜなら自分自身英検二級取得を諦めていたからです。しかし諦めていたからこそ私は発表日の二週間前から、もう英検が取れていないものだと思って英語力を上げることと創大の合格を一日一時間半は唱題しようと決めて挑戦していました。だから発表日に先生方から一次通過していることを知らされた時はとても嬉しかったです。それも合格ラインが、1980スコアのところ1990スコアのプラス1での通過、本当にぎりぎりで通過したのは祈りぬいた結果だと思っています。次は一か月後の二次試験に向けての挑戦へ変りました。私は入学時から試験慣れしておらず夏過ぎまで学校内の模試でさえも緊張してしまって無意識に力が入っていました。だから私は英語担当の橋本先生との二次試験対策の面接をした後、三好先生と外で発音練習や英文をすらすらと音読できるように寒い中外で練習し最後はもう本番で緊張しないように祈るのみと先生方に言われ受験生だからと言って勉強だけするのではなく唱題をすることによって歯車のように勉強効率も良くなっていっていたと思います。本番では練習していた質問が出てきて無事落ち着いて自分の力を発揮できたと思います。英検二級取得は短大では十割換算となり四日の試験ではお昼から国語を受験しに行きました。創大では七割換算されました。
英検二級取得した頃から唱題中に自分が創価大学で講義を受けている姿、自然が豊かなキャンパスを歩いている姿、高校受験のときの第一志望発表日泣いて帰って学力を下げて決めた母校で創価大学受験をサポートしてくれた先生と出会ったこと、全てあのいじめっ子がいなかったら創大を目指すことも、合格を勝ち取ることもできなかったなといじめっ子に感謝の気持ちと幸せになってほしいと祈るようになりました。
七日の一般試験が終わり八日から発表日の十七日まで三階の唱題室で日曜祝日以外は二時間唱題に挑戦し十三日は短大の発表日無事合格を勝ち取り、発表日の十七日を迎え合否発表を手が震えながら確認していきました。無事国際教養学部を含む希望した文系学部全て合格していました。母に報告するために日課のビデオ通話で母の顔を見ると涙が止まらず数分合否を伝えることができず、母は戸惑っていました(笑)
まだ明確な夢はありませんが、外交官やNGO職員、企業法務など創栄館で好きになった英語をグローバルな創価大学でもっと磨き海外で困っている人を助け、世界平和のお役に立つ人材になりたいと思っています。
最後に私にとって創栄館でしか経験できなかったあの貴重な日々は勉強面においても信心面においてもとてもかけがえのない宝物のような一年間でした。快く下関に送り出してくれた自慢の両親に、また一年間側で励ましのお言葉を掛けていただき、時には厳しいご指導をしていただいた創栄館の先生方、遠い地元岡山の地で諦めず激励や声援を送ってくださった地域の方々本当にありがとうございました。
岡山県出身 桑田 凌
この度、2浪の末創価大学経営学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂き、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。
僕は小学生ぐらいの頃から創価大学のオープンキャンパスに行く機会があり、子供ながらも「創価大学に将来行くんだろうな」と思っていました。中学校に進学し野球部に入部すると、その野球部の顧問の先生が創価大学硬式野球部のOBだったので、その顧問の先生から大学時代のことを話していただき、さらに強く創価大学に興味を持ちました。
そして中学2、3年生の時の担任の先生も創価大学の卒業生の方でした。中学2年生の時に関西創価高校のオープンキャンパスに行き、校内を見学させていただいたり硬式野球部の練習を見学させていただいたりして、絶対にこの高校に行くんだと思っていました。しかし当時の学力はとても低く、受かることは不可能なのにも関わらず受験しました。もちろん結果は不合格でした。そのため地元の公立高校に進学しました。自分自身、文武両道を頑張ろうと思っていましたが、高校生活は野球に明け暮れる毎日で勉強することができませんでした。
高校3年生でオープンキャンパスに行った際、先輩方の温かい激励を受け、さらに行きたいと思う気持ちが強くなりましたが、その時の僕は基礎学力がなく、このままではダメだと思いました。そこから本格的に勉強を始めましたが、その時にはすでにもう遅く、もうすぐ試験という状態でした。加えて周りの人は推薦で受かっていき、僕は進路が決まらない焦りがありました。試験には全力を尽くしましたが、勉強を全然していなかったため、結果は当然の不合格でした。
その後は浪人するか就職するか迷っていました。しかし浪人するにはすごくお金がかかるため、浪人はせずに就職しようと思っていました。でも両親はどうにかして創価大学に行ってほしい、けれどどうしたらいいのかを困っているように感じました。そして高校の登校日、担任の先生に今後どうするのかを尋ねられ「浪人するなら塾や予備校を紹介するよ」とおっしゃいました。それから母親がネットで塾や予備校を探し始め、その中で創栄館を見つけました。母は合格体験記を読み、創栄館がいいと考えて僕に紹介してくれました。僕自身も創栄館のホームページを見て浪人することを決意しました。そして3月末に創栄館へと旅立ちました。
創栄館到着翌日から勤行唱題、そして本格的な勉強も始まりました。4月から5月までは何回も英単語を覚えてはテストをするのを繰り返し行い、同時期に英検の過去問も解き、まずは英検準2級を取れるように勉強していきました。しかし、他の生徒たちは2級と準2級の両方を取れるように一生懸命勉強していて、その姿を見て自分も頑張ろうと思うものの、勉強がとても嫌いだったため、居眠りをしたりぼーっとしたりで勉強に集中できないときが多くありました。でも負けず嫌いな性格でもあったので、周りの人に差をこれ以上付けられたくないと思い、ひたすら英単語とイディオムだけを覚えました。
その成果もあり何とか準2級は合格することができました。けれど、ほかの生徒たちは2級と準2級に両方合格している人ばかりで、自分が準2級に合格して喜んでいることが恥ずかしくなりました。
6月からは現代社会と国語が始まり3科目になりました。比較的国語は好きだったので、問題を解いていくうちにコツを掴み、また、先生からのアドバイスで接続詞に印をつけながら読み進めると良いとも言っていただきました。これを実践してみると少しずつ点数が取れるようになっていきました。
しかし、現代社会は国語とは逆で全く思うようになりませんでした。周りのみんなはどんどん覚えてテストをしていく姿を見て、焦る気持ちが大きくなっていきました。でも週に1回しかない現代社会をもっと大事にし、価値ある1日にしようと思って取り組むようにすると、ほんの少しずつ成績が上がり始めました。
しかし、英語だけはいくら頑張っても全然伸びませんでした。夏から秋と時間が過ぎていき、12月になっても基礎が固まっていませんでした。そんな中で創価大学の過去問を解いても全然いい点数を取れるはずもなく、30点や40点、ひどい時には20点以下を取ることもありました。
12月中旬ごろになっても文法が全然できず、ようやく文法をやり始めるぐらいでした。結果的に少しずつ成績が伸びていったものの、合格ラインの成績には一回も達することなく受験に挑みました。「なんとか奇跡よ起きてくれ」と思っていましたが、結果は不合格でした。
自分の中では人生で一番勉強したと思いました。でも合格できず、すごく悔しいと思うと同時に将来自分はどうなってしまうのかと不安に襲われ、堪えきれずに気づいたら大量の涙がこぼれてきました。しかし、そのときまだ両親に報告をしていなかったので、ぐっと涙をこらえて電話をしました。母親が出た直後から母親は泣いており、僕もぐっと我慢していた涙が再びこぼれてきました。電話越しでしたがすごく申し訳ない思いがあふれてしまい、何回も「合格できずにごめんなさい」と謝りました。母親はずっと「いいよ。仕方ない、全力を出せたならいいよ。」と言ってくれました。
電話を切ってすぐに先生たちと今後どうするか話し合いましたが決まらず、とりあえず追加合格を待つことにしましたが、自分の中で全力を出し切ったはずなのに後悔やもう一度挑戦して合格したいという気持ちになっていきました。母親に再び電話をし、ストレートにその気持ちを伝えました。父親にも「もう1回創栄館に行きたい」と伝えると、二つ返事で「わかった、頑張りなさい。」と言ってくれました。これでもう1浪することが決まりました。
2浪目は徹底的に英語の基礎を固めようと先生とも話し合い、分からない所は先生に尋ねたり、参考書を読み基礎を固めていきました。しかし5月に行われるはずだった英検の試験がコロナ禍のため7月に延期になってしまい、その影響でモチベーションも落ちてしまいました。結局そのままズルズルといってしまい、絶対に取らないといけない英検も1次試験で落ちてしまいました。
そこから危機感を感じるようになりました。心を入れ替え、もう一度参考書と英単語を覚えなおし、塾では先生おすすめの長文の教材を解き、解説をもらう前にどうしてこの答えになるのかを自分が納得するまで質問していくことで次第に長文も文法も点数が取れるようになりました。
現代社会では周りのみんなと問題を出し合い、自分が分からなかった問題はノートにまとめて復習するようにしました。また、国語も英語と同じように「どうしてこの答えになるのか」を先生に教えて頂きながらも「どうして別の選択肢ではダメなのか」「自分はこう考えているんですけどどうですか」など、たくさんの質問をするようにしていきました。
ですが、春から夏まで頑張ったのに成績が伸びてこず、結果を出せない自分にイライラする日々が増えていきました。
そんな時にふと、1浪目のある日の夜に母親に電話したことを思い出しました。そのときは、たまたま父親に代わってもらい、壁にぶち当たったときにどうするかを尋ねました。すると父親は「もっと壁を壊せるようにぶち当たる」と言いました。その時の僕は「何を言っているんだ」と思いましたが、この言葉を思い出したとき、父親なりに「頑張れ」と言っているのだと思い、もっと勉強する量を増やすことにしました。
すると、みるみるうちに成績が伸びていき、10月にあった英検2級に合格。年末ぐらいには合格ラインぐらいの点数を取れるようになり、段々と自信がついてきました。
そして迎えた共通テストもいつも通りの感じで受けることができました。そのあとのハイブリッド・一般試験も無事に終え、やり切った感や満足感、自信などがすごくありました。でもここで気を緩めてはいけないと思い、塾の上の階にある唱題室で祝日・日曜日以外は毎日朝10時から唱題し、帰宅後も1時間の合計3時間唱題をして受かるように祈ってきました。
17日の合格発表の時は、すごく手が震えながら合否を確認しました。結果は自分がかけていた文系の学部は全て合格していました。合格を家族に報告したとき、母親は泣いて喜んでくれました。今まで諦めずに努力をやり続ければ必ず合格することができると改めて実感できました。
創栄館での浪人生活は僕にとって、とても大きな財産になりました。この経験の中で勉強以外のこともたくさん学びました。今後の僕の人生にも多くの壁があると思いますが、創栄館で培った経験を糧に今後も頑張っていきます。
最後に、僕を大きく成長させて下さった先生方、本当にありがとうございました。また、2年間熱い思いで僕を応援して下さった家族・友人・地域の方々ありがとうございました。
神奈川県出身 萩原 博美
この度、2浪の末創価大学看護学部の合格を勝ち取りました。
現役、1浪目と一歩及ばず心が折れて諦めかけましたが、それでも、どうしても創価大学の看護学部に行きたい、絶対に先生の創立された創価大学の看護学部に行き妙法の看護師になると心に決めて奮起し、絶対に合格すると決めました。
2浪目を迎えるにあたり、山口県下関市に創価大学の専門予備校があるのを見つけ、自分の意志で赴きました。勉強はもとより生活も一新、一から出直すつもりでの受験生活が始まりました。慣れない土地で、勉強に励むとともに、自分自身とも向き合いながらモチベーションを高めていきました。
まず、ここに来て始めたことは英検2級の試験勉強でした。主に過去問を繰り返し解きながらも、私は特にリスニングが苦手だったのでリスニング対策を強化していきました。英語の橋本先生に相談したところ、耳を慣らすための参考書とCDを貸して頂きました。これを毎日、時間を決めて、少しの時間でも聞いていきました。初めは全く聞き取れなかったのですが、徐々に耳が慣れ、内容が理解できるようになってきました。しかし、英検2級の試験結果はわずか10点ほど足らずで不合格。私はショックのあまり「英語をやりたくない」と先生にあたってしまいました。ですが、三好先生は真正面から受け止めてくれ、「絶対に花開くよ」と言ってくれました。その言葉を受け、これからどうやっていくかを橋本先生と話し合い、共通テストメインに切り替えました。英検2級は苦手なリスニングが原因で落ちてしまったので、共通テストに向けてセンターのリスニングの過去問を集中的にたくさん解き、本番までやり抜きました。長文に関しては速読が苦手だったので、本来は理科の先生である滝下先生にも相談して一緒に勉強するつもりで取り組んで頂きました。
理科は得意でしたが、その中で生物より化学の方ができなかったので、その中でも一番苦手な計算をメインでやっていただきました。
国語は読解力の不足が原因で伸び悩んでいたため、他の先生と相談し滝下先生にサポートをお願いしました。その結果、国語は徐々に向上し本番では力を出し切ることができました。
12月に入り、創価大学の願書提出が始まった頃、2浪目ということもあり、父から他大学も併願したらどうかと言われました。私はそれを聞いて木本先生に相談したところ、先生に「絶対に大丈夫だ」と励ましの言葉を頂き、私はそこからさらに奮起しました。
共通テストの当日は今までと違いとても緊張してしまいました。コロナ禍、そして初めての共通テストということもあり、試験慣れしていなかったからです。そのためか、得意であるはずの理科までも思うように解くことができず、自己採点をした結果、今まで取ったことのない点数を取りボロボロでかなり落ち込みました。それに加え、他の人たちと違い私は英検2級を持っていないので、「今回も落ちてしまう、このままではダメだ、それに後がない」と思い、かなり焦りました。
その日から創価大学の入試までの2週間、生活を見直し朝5時に起床、1時間の唱題と1時間の自習をしてから創栄館に行き、先生から出される問題をひたすら解きました。最後は橋本先生に「あなたにはこれ以上出す問題がない」と言われるくらい勉強しました。帰宅してからは唱題をし、寝るまでの1時間さらに単語など暗記系を中心に勉強をして夜10時には寝るようにしていました。
創大のハイブリッド入試と一般入試の日には、共通テストの時とは違い心が落ち着いていて、全てを出し切ることができました。
試験結果が出るまで悔いを残さないようにお題目を上げ切り合格発表を待ちました。
結果は、共通テストは不合格でしたが、ハイブリッドと一般で合格を勝ち取ることができました。
私はこの1年間、何度もくじけそうになったり、辞めたいと思うこともありました。しかし、先生たちがそのたびに何度も励ましてくれました。なので、この合格は私一人ではできなかったことだと思います。
今まで支えてくれた先生方、また、最後まで私の合格を信じて待ってくれた家族には感謝しかありません。
最初は「山口県?!の予備校?!」なんて遠く離れた土地に行くのは嫌でした。しかし、今は思い切って山口県に来てよかったと思っています。創栄館に来なかったら、こんな素晴らしい結果にはなっていなかったと思います。
私は必ず創栄館で努力したことや学んだことを創価大学に行っても忘れることなく「一生の宝物」として邁進していきます。
高知県出身 平瀬 義明
この度、創価大学教育学部に合格することができました。また、ふるさと給付奨学金を頂く事となり、御尽力して下さった方々に感謝申し上げます。
僕が創価大学を目指すようになったきっかけは、高校2年時に参加したオープンキャンパスでした。創大生のとても明るい姿や生き生きとした表情を見て、僕もこのキャンパスで大学生活を送りたいと思い受験を決意しました。
しかし、僕は何に対しても嫌なことから逃げる性格でこれまでいろいろなことから逃げてきました。それは受験に対しても言えることで、英語は高校時に好きになり、一番の得意科目になったのですが、国語と選択科目で選んでいた数学は壊滅的でした。その状況を自分で把握していたにもかかわらず、なぜか英語に逃げまくり英語だけを極めるということをしてしまいました(笑)。入試では英語7割、国語・数学は3割ほどという点数を取ってしまい、もちろん不合格でした。これは今だと笑い話になるのですが、当時の僕は本当にこんな性格の自分に失望していました。
しかし、創価大学を諦められない気持ち、そしてこんな自分を変えたいという気持ちがあり、もう1年創価大学を目指し頑張ろうと決意しました。そんな時に、高校2年で参加した創価大学の夏期研修で出会った友人に創栄館のことを聞きました。その頃の僕の周りには創価大学を目指している知り合いはなく、創栄館という創価大学を目指している人がたくさん集まる場所があると知り、とても驚きました。さらに創栄館では毎朝晩勤行もすることを知り、ここなら人間的な面でも成長できると思い、両親にお願いして創栄館で浪人させてもらえることになりました。
初めて親元を離れるということもあり、最初いろいろな不安がありましたが、創栄館の皆がとても暖かく迎え入れてくれ、その場の生活にもすぐに馴染めました。そして、4月から授業が始まりました。僕の最初の目標は、6月の英検2級で2300点以上を取ることでした。なぜなら、この点数を取ると創大のすべての入試で英語の得点が9割換算されるからです。英語担当の橋本先生から「基礎が一番大切」だと言われ、4月から油断することなく基礎に戻り、しっかりと固めていきました。その甲斐もあり、6月の英検1次試験で自己最高点を取ることができました。2次試験ではあまりうまくいかず点数を落としてしまい、目標の2300点には届きませんでしたが、2200点以上のスコアを取り、創大入試英語8割換算を獲得することができました。
そして6月に入り、国語と現社の勉強が始まりました。ここからが僕には本当に辛かったです。しかし去年のことを思い出し、絶対に逃げない!!と決め、国語・現社両方ともしっかり勉強していきました。9月頃になり、現社は徐々にできるようになったのですが、国語の点数が全く伸びませんでした。そんな時に国語担当の三好先生に相談すると、新聞などを使って勉強するのもいいとアドバイスを頂き、その日から毎朝新聞を読む習慣を作りました。すると不思議なことに、国語の点数が伸びていきました。
10月頃からは本当にメンタルとの戦いでしたが、周りで共に頑張っている同志の皆や先生方に支えられ、最後まで頑張り抜くことができました。
最後になりましたが、ともに1年間頑張ってくれた同志の皆さん、僕を一生懸命指導してくれた先生方、応援してくれた両親、地域の方々一人一人に感謝の気持ちでいっぱいです。これから人々に貢献できる人材になれるよう、創価大学でしっかり勉学に励んでいきます。本当にありがとうございました!!