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合格者体験談

 「大空の飛び立つ若鷲のごとく思い切り乱舞せよ」という気持ちで皆さんを天空へ解き離します。毎年幾人もの人材を創大へと送り出すたびに思うことですが、「大きく育て」「世界の人材へと育て」と・・・。
 この11ヵ月間共に手を取り合い「泣き」「笑い」「励ましあい」目的はただ一つ創大を目指し頑張ってこられた皆さん方に、唯々頭の下がる思いです。
 創栄館の目指すものそれは人材を見つけて来るのではなく「人材を創る」ただこの一点にあります。今日まで600名近い人材が集まり創大に送り出しました。北は北海道から南は沖縄まで人材の元となる鳳雛が集まってくれました。うれしい限りです。
 今後は、創大で思いっきり自分を磨き社会に貢献する人材となってください。
 尚、指導担当してくれた教師陣に感謝の気持ちでいっぱいです。毎年のことですが、夜遅くまで入試問題を検索し、気が付けば夜明けだったこともしばしばでした。おかげで英語において入試問題50中33問がズバリ的中、一文一句違わず出題されていたのは、さすがプロとしか言いようがありません。受験した生徒たちも「時間を持て余した」といい、終わったときは、合格の確信に満ちていました。担当して頂いた先生大変ご苦労様でした。深く深く生徒に代わり感謝申し上げます。
 

宮崎県出身 永友 陽子

 この度、創価大学看護学部に2浪の末、無事に合格することができました。
 
 私は、中学生のころまで大学に行こうという考えは全く持っていませんでした。なので、中学生のとき、周りの友達が将来大学に行きたいと言っているのを聞いて、なぜそこまで勉強をしたいのか全然理解することができませんでした。そんな自分の考えが変わったのは、高校受験に失敗したときでした。私の通っていた高校には看護科があり、小さいころからずっと看護師になることが夢だった私は自然と看護科に行くことを目指していました。
 
 ですが、自分はとにかく面倒くさがりな性格で、夢を語るだけで勉強には全く手を付けず、部活や習い事でさえどうやってサボろうかいつも考えているような人間でした。それで結果的に第1志望の看護学科ではない別の学科に通うことになりました。その後、高校1年の最初の時期は看護の専門学校に行くことを考えていました。そのとき、創価大学に看護学部が開設されたことを思い出し、すぐに創大のパンフレットを取り寄せました。私は小さいころから海外で活躍できる看護師になることがそもそもの夢だったので、パンフレットに載っていた海外研修があることや留学生が多く多様な文化や言語を学べることに強く関心を抱くようになり、創価大学に進学することを決意しました。
 
 しかし、前にも述べた通り全く勉強をせず、進学校でもなかったため、現役の時は落ちること前提で入試を受けに行きました。結果はもちろん不合格でした。この結果を見て、自分よりも親の方がショックを受けていたのを今でも覚えています。
 
 それから、インターネットで創大のことを色々と調べているときに偶然、創栄館のホームページを見つけて、合格体験談を読み、なにより創価大学専門の予備校があることにとても驚き、すぐに親や学校の先生に伝えました。そして、両親も承諾してくれ、創栄館での浪人生活がスタートしました。
 
 4月から授業が始まり、最初は英単語を覚えるところからでした。それまでは高校のテストで10個くらい出題される英単語をその時だけ覚えるということしかやっていなかったので、初め、単語帳を見たときは知らない単語だらけでした。その上、私は覚えるのが遅かったので初めて出会う単語にはかなり時間がかかりました。ですが、遅いなら遅いなりに無理に焦らず何度も繰り返し続けました。そのおかげでどんどん覚えることができました。英文法に関しては、高校でほぼ学んでおらず、高校の英語の授業ではいつも中学校レベルの英文をみんなで訳していくというやり方だったので、最初は名詞・副詞・関係代名詞・イディオムなど、その他大学入試に必要な文法分野全てが初めまして状態で、どの文法も違いを見分けられず同じに見えていました。そこで1浪目に使っていたNext Stage(英文法の参考書)に書いてある解説の意味すら理解できなかった私は、友達が教えてくれた別の問題集で理解して、それから、Next StageやPower Stage(同じく英文法の参考書)をするようになりしました。そうするうちに、徐々に点数が取れるようになっていきました。
 
 理科に関しても知らない事ばかりでした。私の場合は計算が大の苦手だったので、その分、化学基礎や生物基礎の知識問題で主に点数を取れるようにしました。そのためにも過去問で間違った所をノートに写したり、なかなか理解できない所は動画を見たり、重要な部分を紙に書いて壁に貼り付けたりしていました。
 
 そのように、コツコツと努力を続けることによって、自分でも気づかないうちにできるようになり自信がついていきました。英検2級に合格したことも自信に繋がりました。
 
 受験前は創大の過去問やセンターの過去問を毎日のように解いていきました。そのとき、徐々に点数が上がっていた英語でいきなり点数がガクンと下がり流石に焦りました。それからは、先生とどうすればまた点数が取れるようになるかを話し合い、速読の練習やもう一度英文法を見直すことを徹底していきました。そうすると、試験直前では7割以上点数が取れるようになり、創栄館に来たばかりの頃は、30・40点台だった自分がこんな点数を取れるようになったことに驚くと同時に、自信を持って受験に挑むことができたので良かったです。
 
 創栄館では、朝9時から全員で唱題をして、わが友に贈る・名字の言・寸鉄を読むことから一日が始まり、夕方5時にまた全員で唱題をします。他にも座談会や本館中継(同放)にも全員で参加します。私は今まで座談会などに参加しても、まともに御書講義すら聞いておらず、難しい話をしているな、ぐらいにしか思っていなかったのですが、創栄館に来て、同じ年の友人たちと活動に参加するうちに全ての学会活動に対する態度が変わり、ちゃんと話を聞くことが当たり前になったことは自分にとって大きな変化となりました。入試前の10日間で同じ看護学部を受けた友人と20時間題目を上げられたことも良い思い出となりました。
 
 1年を通して木本先生がお昼に何度もカレー・豚汁を作ってくださり、他にもおでんや瓦そば、おしるこ、そうめんなども作っていただきました。とても美味しくて、ありがたかったです。
 
 私は創栄館に来て、本当に多くの出会いや経験をすることができました。ここにきていなければ一生出会わなかったかもしれない全国から来た友人と創価大学合格という一つの目標に向かって切磋琢磨し合った2年間は一生忘れられないものになりました。
 
 中学生の時、定期テストの学年順位でいつも下から数えて上位だった自分が、夢のまた夢だと思っていた創価大学に合格できたのは、本当に最後の最後まで励まし続けてくれた木本先生、橋本先生、三好先生、滝下先生、2年間山口に送り出してくれた家族、応援してくれた地元の同志の皆さんのおかげです。
 
必ず世界を舞台に活躍できる人材になれるよう頑張ります!!
ありがとうございました!!

福岡県出身 倉原 佑太

 このたび、3浪の末、創価大学経営学部・国際教養学部の合格を勝ち取ることができました。3年間支えて下さった家族、友人、創栄館の先生方、地域の皆様方に心から感謝申し上げます。
 
 高校時代の私は、池田先生が創立者である創価大学に行きたいという目的だけで志願し、あまり勉強もせず、推薦・センター・一般試験を受けました。結果は全て不合格で創価大学を甘く見ていたことを後悔しました。そのような過ちをしないと決め、親に頼み、1年という条件で高校の先生から聞いていた創栄館に入塾しました。
 
 しかし、私は英語の基礎も固まっておらず、ついていくことで精一杯で、11月頃にやっと成果が出始めました。しかしそこで慢心してしまい、成績が上がらず、そのまま受験に向かい、結果は不合格。浪人は1年という条件でしたが、駄目元で親に相談をし、もう1年チャンスを頂きました。
 
 経済的にも困難の中チャンスを頂いたので、無駄にできないと心に決め挑みました。2浪目の私は、英語の基礎を固めようと積極的に質問に行き、分からないところを潰していきました。6月頃になると段々と分かるようになり、少しずつ英語が楽しくなり、また自信にもつながりました。9月頃になると現代社会にも結果が出始めました。このまま頑張って合格ラインに達するまでになりましたが、センター試験の英語の際、全ての大問を解き終えたと思い待っていたところ、最後の見直しで大問10をやり忘れていることに気付いてバタバタと解いてしまい、思うような結果になることができませんでした。
 
 私はその失敗をバネに勉強に励みました。全統・一般はできたと思い、満足していたのですが結果は不合格。まだ追加合格があると信じ、毎日3時間唱題を上げたのですが追加合格もできませんでした。
 
 今後のことを考えていた時、母に「佑太、諦められないんでしょ。一緒に、皆に頼もう。」と言っていただき、まずは祖父を説得しました。祖父から「何の目的で創価大学に行くんだ、他の大学ではダメなのか。」と言われ、私は創価大学に行く理由、将来の目標を話し、納得してもらいました。また、家族全員がそこまで行きたいならと最後のチャンスを頂きました。
 
 そして3浪目、私は落ちた原因である苦手な国語を克服しようと努力しました。まず、現代文で分からない字は電子辞書で調べ、また、間違えた問題だけでなく合っていた問題においても何が根拠でこの答えになったのかを徹底的に復習しました。漢文においては、早覚えや漢文句法を何度もやりました。その結果、12月頃になって初めてセンターの過去問で8割近く取れるようになりました。また、英語においては英検2級を2回受け、2回とも合格、そして国際教養学部が受験可能となる2100点以上を取ることができ、自分自身に自信がつき始め、TOEICでも最終的に570点を取ることができました。木本先生から「孤独になった人が最後に勝つ」と言われていたので、私は孤独に勉強をし、昼も20分唱題、皆で3時に15分唱題、日曜日も塾で勉強しました。このサイクルを毎日続けました。
 
 しかし、センター・全統と焦ってしまい、思うようにはいきませんでした。ですが、ここで負けるかと一般試験に賭けました。最終日、英語の文法で今までやってきた過去問から出て、その際にこの3年間やってきて良かったと思いました。また、現代社会や苦手だった国語も解け、やり切ったと2浪目以上に心から思いました。
 
 その後、毎日10時間唱題を上げ、一般の合格発表日を迎えました。まず経済・法学を見ましたが不合格。しかし、国際教養・経営を見ると2学部とも合格していました。そのとき私はこの3年間に意味があったんだと思い、涙が止まりませんでした。
 
 そして、家族に報告した際には「3年間お疲れ様。よく頑張ったね。」と泣いて喜んでくれ、やっと1つ親孝行ができたと思いました。地区の方々も泣いて喜んでいたと聞き、家族だけでなく他の方々にも感動を与えられて嬉しかったです。
 
 最後になりますが、これから創栄館で勉強される人の中にも、もうダメかもしれないと思うときが来るかもしれませんが、諦めないで下さい。その際は、何のために創価大学を受けるのか、常に考え、また、初心を忘れなければきっと自分自身のやるべきことが明確になっていくと思います。私自身もこの受験の苦労を忘れず、今以上に努力し、必ず大成長し、家族・地区の方々、塾の先生方、支えて下さった方々に恩返しをしてまいります。そして、世界に貢献できる人材になります。共に頑張っていきましょう。応援しています。
 
Whatever happens, never give up to the end like me.
(何が起きようとも私のように決して最後まであきらめないで。)
 

島根県出身 梶谷 あかり

 私は創栄館で2年間浪人して、創価女子短期大学に合格することができました。
 
 私は勉強が嫌いでいつも逃げてばかりいました。中学ではまともに学校に行けず、高校ではまったく勉強をせずいつもクラスで下の方の成績でした。その頃の自分は大学というものがどういうものなのかあまり理解してないまま進路を決めていました。大学に行く理由も東京に行きたいからでした。そんな時、母親から「創価大学のオープンキャンパスに行かない?」と言われ、私は「創価大学って何?」と思いつつ高校2年生の頃オープンキャンパスに行きました。創大とは別の大学のオープンキャンパスにも行きましたが、創大に行ったとき、ここは何かが違うと思い、その時から創大に行きたい気持ちが強くなっていきました。それから高校で8時ぐらいまで居残り勉強をして受験に挑みましたが、もちろん不合格。ですが、悔しさも何もありませんでした。
 
 これからどうしようか考えていた時、叔母から「創栄館っていう塾があるから行こう」と言われ、状況が把握できないまま連れて行かれて、とんとん拍子に話が進み気付けば入塾していました。慣れない環境や初めての一人暮らしで最初は不安なことばかりでしたが、周りの先輩方や先生が話を掛けて下さり、ちょっと安心しました。それからは勉強の日々でした。それに加え、毎日朝晩15分の勤行・唱題もありました。もちろん勤行・唱題も勉強もこんなにやったことがなくて初日で疲労困憊し、こんな日が1年あると考えると逃げ出したくなりましたが、入ったからには途中であきらめるのだけは嫌で、頑張ると決めました。しかし、最初の単語の勉強から苦戦し、いくらノートに書いても頭に入ってこず、周りとの差が開いていくばかりでした。自分のできなさに嫌気が差し、焦りもあったせいでより勉強が手につかなくなっていました。
 
 試験に近づくにつれてテストの日々が続きましたが、皆のペースに追いつくのに必死で問題の内容を理解することを疎かにしていたため、思ったように点数が上がらず徐々に自信を無くしていきました。英検を2回受けましたがどちらも不合格。現実を突きつけられやる気をなくしかけましたが、最後までやり切ると決め試験に挑みました。
 
 いざ会場に行くと会場の緊張感のある空気に完全に飲まれてしまいリラックスできず、ケアレスミスを連発し、手ごたえを感じないまま全ての試験が終わってしまい、結果は不合格でした。
 
 でも、もうこれで勉強しなくて済むんだと思った時モヤモヤした気持ちになり、この気持ちは創大に合格しないと解消されないと感じ、もう1年頑張る決意をしました。ですがこのとき母に「3回目はない」と釘を刺されました。2年目ということもあり、今まで分からなかった自分に合った勉強法や要領がわかってきて自分のペースで勉強できるようになりました。2年目は英検に加えTOEICにも挑戦しました。そして無事に英検準2級に合格することができ、それが自信になりました。それからは、問題をちゃんと理解することに力を入れ、すごく初歩的な問題でも先生に質問に行きました。そしてこの年は、短大も受けることにしました。しかし、まだまだ創大に受かるほど学力が足りてなく、最低でも短大は受からなければと、途中で短大の過去問を主にやるようになりました。何度も何度もテストをして、出題傾向に慣れていきました。
 
 2年目の試験は1年目と比べ物にならないくらい、ほとんど緊張せず挑むことができ、晴れて創価女子短期大学の合格を勝ち取ることができました。私以上に周りの先生方や家族、地域の人たちが喜んでくださったことに喜びを感じました。そして、先生方、家族、地域の方々の応援あっての合格でもあります。たくさん心配を掛けました。でも期待に応えることができて、たくさんの人に支えられて、喜んでくれる人たちがいて私は幸せ者です。2年間ありがとうございました。『努力は必ず報われる』という言葉を胸に、これから先どんなことにも努力を怠らず、必ず胸を張って誇ってもらえる人材になれるよう頑張ります。
 
 最後にもう一度。たくさんの人に応援して頂き、支えて頂いた私は幸せ者です。先生方、家族、地域の皆さん、2年間ありがとうございました。

沖縄県出身 上地 洋一

 この度、1浪の末創価大学法学部に合格することができました。創栄館の先生方をはじめ応援してくれた地域の方々、ここに来させてくれた両親に本当に感謝しています。
 
 中学生のとき、創価大学駅伝部が初の箱根駅伝出場を果たしたことをきっかけに私も創価大学に行って駅伝部に入り、箱根駅伝に出場したいと思いました。高校で本格的に駅伝部として練習に励んできましたが、なかなか記録が伸びず年々レベルが上がっていく創価大学駅伝部を見て、私のレベルでは無理だと思い、箱根駅伝に出場するという夢は諦めました。
 
 しかし、創価大学へ行きたいという気持ちはなぜか変わらず、オープンキャンパスに参加したり、いとこや先輩達が創価大学に合格していく姿を見て、ますます行きたい気持ちが強くなりました。高校3年生の時、創価大学の推薦入試に挑戦しました。面接さえよければ受かるだろうという甘い考えだった私は、英語も英単語しか勉強せず文法などは一切勉強しないまま受験しました。結果は当然不合格でした。落ちた後どうするか考えてなかった私は、周りがどんどん進路が決まっていく中で早く進路を決めたいと思い、専門学校などいろいろ調べました。そんな中、知り合いの方が創栄館のことを教えて下さり、調べてみると創価大学専門の予備校とあり、塾長の熱い言葉や合格体験談などを見て、ここで浪人して創価大学に行くしかないと思いました。
 
 浪人という進路を決めた私は、周りに進路が決まって遊んでいる人がたくさんいたので、勉強をしたくなかった私もセンター試験や一般入試などは受けず、12月から3月まで遊び、勉強は全然しませんでした。
 
 4月から勉強が始まり、最初は6月の英検に向けてひたすら英単語や文法の勉強をしました。毎日英語でとても苦しいときもあり、英検2級に受からないといけないというプレッシャーに押し潰されそうになったこともありましたが、自分に負けないように朝晩の勤行と唱題をしっかりして頑張って乗り越えました。英検の前日には、初めて4時間の唱題をして自信をつけて本番に挑みました。結果は合格でした。2ヶ月間の勉強で英検2級に合格できたことはとても自信がつき、改めて努力すれば祈りは必ずかなうことを知りました。7月にはTOEICにも挑戦し、英語力の向上に力を入れました。9月の英検では、英検2級の2200点以上での合格を目標に頑張りました。この点数をとれば創大の全統・一般入試の英語が8割換算されるからです。しかし、取りたいという気持ちはあったものの正直今のレベルでは取れないだろうという諦めの気持ちもあり、中途半端な気持ちで勉強や唱題をしていました。結果は、筆記で合格したものの前回受けた英検より点数は低く、2200点を取ることはできませんでした。この時期から創大に合格出来るだろうかという不安に襲われ、11月と12月はとても苦しかったことを覚えています。テストをするごとに点数が下がっていき、なぜこのような状態になっているのか原因を探すのに必死でした。原因はシンプルで、唱題ばっかりやって肝心な勉強を疎かにしていたことでした。私は小学生のころから毎朝勤行と唱題をしていて創栄館に来てからは夕方も勤行と唱題をするようになり、唱題さえしとけば何とかなるだろうという甘い考えを持っていました。
 
 このままではいけないと思い、勉強により一層力を入れるため朝早く起きて創栄館に行って勉強をし、朝晩の勤行と唱題もしっかり継続しました。その結果、1月に入ってようやく点数が伸び、センター試験直前になって、今までの不安を自信に変えることができました。しかし、センター本番では自分の思うような点数が取れず全統と一般入試で合格を勝ち取ることに気持ちを切り替えました。試験前には創栄館全員で2日間に分けて10時間唱題を行い、受験に挑みました。手応えは、正直現社はできたけど英語と国語に関してはあまり手ごたえを感じませんでした。
 
 楽しみと不安な気持ちで合格発表を迎え、センターと全統の結果を見ると、センター試験では受験した4学部全て合格していて、全統は3学部合格しました。予想以上の結果に嬉しすぎて泣きました。3日後の一般入試の合格発表も4学部全て受かって、これも予想以上の結果でした。何よりも合格の報告を両親・親戚・地域の方々にできたことがとても嬉しくて、応援して頂いた恩返しができてよかったです。合格発表の翌日、創栄館の橋本先生から電話で呼ばれ、行ってみるとふるさと奨学金の書類が届いていました。中を見ると採用通知が入っていて、奨学金も得ることができました。合格だけでなく奨学金も得ることができて、最高の親孝行ができたし、今までやってきた勉強や唱題は無駄ではなかったんだと実感することができました。
 
 この1年間浪人して、自分自身大きく成長できたし、信心の原点にもなりました。これから創栄館に入る受験生は、勉強面と信心面をしっかり両立させて、合格を勝ち取ってください。そして、両親や親戚、地域の方々に感謝の気持ちを持ってしっかり恩返しして下さい。創価大学で待っています。
 
 改めて、創栄館の先生方本当にありがとうございました。創大に行っても自分の夢に向かってこれからも努力し続けていきます。

静岡県出身 田中 勇希

 この度、創価大学教育学部に合格することができました。
 僕には生まれつき足が不自由な弟がいます。弟はこれまでの人生のほとんどを病院で過ごしてきていて、数多くの手術をしてきました。しかし、僕はこれまで弟の悲しそうな顔を一度も見たことがなかったのです。本当はすごく辛いはずなのにお見舞いに行くたび笑顔で逆に僕が勇気をもらっていました。僕は高校1年生の時に決めました。毎日笑顔を忘れないということ。弟の頑張りが僕の生きがいになっていました。
創価大学を目指すようになった大きな理由も弟に僕の頑張りで勇気と希望を与えようと思ったのがきっかけでした。しかし、高校生活は野球の部活動に明け暮れる毎日で、勉強への執着心はほぼゼロでした。
この生活リズムの中で高校3年生になり、夏の大会も終わり受験シーズンへと進むことになりました。このままではダメだと思った時にはもう遅く、季節はもう冬で1ヶ月後にはセンター試験という状態でした。結果は、当然不合格でしたが、創価大学以外で受けた大学に合格していました。しかし、何か心に引っかかるものがあり、創価大学を諦めきれない思いが強くなりました。そんなとき相談相手になってくれたのが、地元の友人、地区の学会員さん、そして何より家族でした。多くの方々の厚い応援を胸に、ある日見つけた創栄館へ旅立ちました。「創価大学に行きたいだら、なら行くしかない」と応援してくれた家族には感謝してもしきれません。
 
 そして創栄館に入校しました。最初は、朝晩に勤行唱題があることに驚きました。僕は高校3年生まで勤行も覚えていなかったし、唱題も親に勧められてやっていたのです。そこで、12時と15時の休憩時間も唱題室に上がり、唱題することを決めました。このように唱題と勉強を両立して生活しようと思えたのも先輩方が背中で引っ張ってくれたおかげです。
 
 勉学面では、4月から6月は必死になって英語の基礎となる英単語と英文法に重きを置いて勉強に励みました。その甲斐あって、夏には英語力に磨きがかかってきたという実感を持てました。さらに、英検2級にも合格できたことが僕にとって大きな自信に繋がりました。
 
 この喜びもつかの間で、新たな悪夢が僕を襲いました。それは母の病気です。これまで母は一度も病にかかったことがなく、元気な母だったのですが、突然の病に僕は自分自身に情けなさと申し訳なさを感じました。母の病気は僕のせいだと思い込み、勉強に手がつかず、母が心配で泣いてばかりの日々を送っていました。そんな時、心の支えとなったのが、創栄館の仲間・先生方、地域の方々です。僕はこのようにお互いに支え合うことができるのも創栄館だからこそだと思います。多くの困難も創栄館の先生方、仲間そして地域の方々の支えがあって乗り越えることができたと思います。
 
 夏も終わり受験が徐々に近づいていると感じる10月、英語と現代社会に関しては苦手な分野や解らないところを深く掘って先生方に質問に行きました。そのおかげで、僕が目標としている点数を維持できていました。勉強をする中で大事なのは質問だと思います。解らないことを素直に訊きに行き、理解を深める。これほど効果的な勉強をしないのはもったいないと感じます。ですが、英語と現代社会は順調でも受験は総合戦です。僕は国語が大の苦手でした。なかなか点数も伸びず、不安と葛藤の日々でした。センター試験直前の模試をやった際にも、合格点よりはるかに下で、直前期の僕には大きなダメージでした。
 
 しかし、ここで諦めて点数が取れないのと、諦めずにやって点数が取れないならどっちだと考えて、やっと吹っ切れました。センターの2日前までで、過去問を10年分ほど解いて読解のパターンを攻略することができ、本番で予想もしていなかった点数を取ることができました。総合的な点数では目標の点数には届かなかったのですが、結果として合格を勝ち取り、ふるさと奨学生にも選んでいただき、やり切ったという達成感がすごくありました。また、全学・一般も受験した全ての学科で合格を勝ち取ることができました。
 
 創栄館での浪人生活は、僕にとって本当に価値のある経験だったと思います。この経験の中には勉学だけでなく幅広い分野で学ぶことがたくさんありました。勉学の面では、少しずつでも継続して勉強すること、最後の最後まであきらめずやり切ること。「継続は力なり」という言葉はとても当てはまると思います。勉学以外では、お互いに切磋琢磨していける仲間の大切さ、家族や周りで支えてくれる方々の存在です。また、先生方には何事にも目的・目標の大きな柱を立てることが大切だと教わりました。今後の人生にも壁は僕を待ち構えていると思いますが、創栄館で培った経験を糧に、今後も日々精進していきます。
 
 最後に、信心の面でも勉学の面でも大きく成長させていただいた先生方、本当にありがとうございました、また、1年間熱い思いで応援し支えて下さった家族・地域の方々、本当にありがとうございました。

三重県出身 角田 麗

 この度私は三浪の末、創価大学看護学部に合格することができました。三年間私を支えてくださった家族、創栄館の先生方・仲間、地域の方々に心から感謝申し上げます。
 
 私は高校二年の冬に父を亡くしました。父は未入会で、子供たちに学会活動を強制しなかったため、私は高校三年の春まで創価学会や創価大学という名前を知りませんでした。
 
 そんな私が創価大学を目指すきっかけとなったのは、母に誘われた創大のオープンキャンパスでした。それまで何校かのオープンキャンパスに参加しましたが、どこに行っても全学生・職員が笑顔で挨拶してくれる大学は創大しかなく、私もこの中の一員になりたいと思うようになりました。また、私は幼いころから海外に興味があり、看護師も目指していたため、海外への看護研修が充実している創大の看護学部は、私のやりたいことがすべて詰まっている大学だと思いました。しかし、創大を目指すといっても周りに創大を受験した人がいなかったため、受験勉強は手探りで、過去問を解ける実力もない当時の力では合格から程遠く、結果は『不合格』。その時に思ったことは「あぁ、やっぱりな。」でした。合格発表後、進路に悩んでいた時に母から創栄館を勧められました。私はすぐに創栄館に行くことを決意しました。
 
 創栄館に入学する際、木本先生から毎日、勤行唱題をやるように言われましたが、今までやったことがない私にとって毎日の勤行唱題は苦痛以外の何物でもありませんでした。スピードにはついていけず、経本の読み方もわからない。その時経験したのは『恥』でした。そこからはアパートで経本を読む練習と唱題時間を一分ずつ伸ばすことに専念しました。これを始めてから一週間で自分でもびっくりするような出来事が何度か起こり、少しずつ御本尊様を信用するようになりました。しかし私は飽き性のため、半年ほどで熱が冷めてしまいました。そこから落ちていくのは一瞬でした。休む日が増え、成績も上がらずストレスしか感じませんでした。友人が家に来て激励をしてくれても返事だけで心の中では面倒くさいとさえ思っていました。そしてその状態のまま試験の日が来てあっという間に結果発表の日になり結果は『不合格』。そこで初めてこのままではだめだと思い、母にもう一年頑張りたいと創栄館に残ることを説得しました。
 
 二浪目になってから先輩として後輩の面倒を見なくてはならないと思い、後輩からおせっかいと思われるようなことまでしていました。そのくせ授業中には居眠りをし、木本先生から喝を入れられるまで気付かないという失態をおかし、反面教師の先輩だったと、とても後悔しました。そこから居眠りもなくなり成績も上がるようになりました。また、自分は先輩でも後輩でもないと思うようなると一気に気が軽くなり勉強にも集中でき、ほかの人のことも気にならなくなり、自分にとって良い方向に向かっていました。しかし、試験当日は思ったように行かず、本来の実力の半分も力を出せずに結果は三度目の『不合格』でした。この時の私は現実を直視することができず、みんなの前でカラ元気にふるまうしかありませんでした。友人も後輩たちも合格していく中で一人だけ取り残された感覚でした。そして、三浪するかどうかの壁にぶつかりました。最初はもうやりたくない。こんなに苦しい思いはもう嫌だと三浪に対してだけでなく、創大進学に対しても否定的になっていました。そんな時、創栄館でとても仲の良かった友人に「私の体験談を読んでほしい。麗にあてたようなもの。」と言われ読んでみると、彼女の体験談の最後に【これから創栄館で勉強される方へ】とありました。私はこの文を読んで「もう一度頑張れるかな。やってみようかな。」と思うようになりました。そこから三浪すると決意し、家族を説得するまでの期間は自分でも驚くほど速かったです。
 
 三浪目は毎月TOEICに挑戦し、また英検二級にも二回挑戦しました。創大の受験勉強をする中でこの二つの受験はとても意味のあるものでした。一つは、試験慣れです。私は試験本番に緊張のし過ぎで本来の力を出せない傾向にあります。しかし、この毎月の試験のおかげもあり、全統や一般入試では落ち着いて程良い緊張感の中で試験を受けることができました。二つ目は英語力の向上です。毎月試験があるということで、自分の中で絶対に点数を上げなければならないというプレッシャーがありました。また、創大には外部の英語試験を入試の英語点数に換算する制度があり、このことも点数を取らなければならないというプレッシャーになりました。ですが、これらのプレッシャーが三浪の私にとても良い結果をもたらしました。TOEICでは五月に445点だったのが九月には595点にまで上がり、英検二級に関しては2268点と英語の得点換算率90%を貰うことができました。
 
 また、三浪目は信心面でもとても成長することができました。私はかなりのネガティブ思考だったのですが、今年は脱ネガティブと決め、常に良いことを考えるようにしました。すると、起こることすべてが良い方向に流れ始めました。そして、自分がこのように考えられるようになったきっかけを与えてくださった御本尊様に毎日感謝するようになりました。また、今までの失敗があるため今年は毎朝創栄館の仏壇掃除を行いその際に一日の決意をする習慣をつけました。この仏壇掃除は先生からお願いされた仕事でしたが、自分にとても良い影響を与えてくれたと思っています。そして、木本先生から唱題後に「あんたの唱題の声すごいね。絶対に功徳が現れるよ。」と言われ、とても嬉しく、またその言葉が自信に繋がりました。さらに、私はこの信心を通して苦手分野でも得意分野に変わるということを証明することができました。私は高校生の時から生物基礎が苦手だったため点数も低く勉強すること自体億劫でしたが、苦手だからやらない、点数が上がらないからやらなくていいというのではなくまずはやってみる。というように意識を変えると、分からないことを理解できていくのが楽しくなり、一般入試では生物基礎が自己採点で満点を取ることができました。
 
 これから創栄館で勉強をする人の中で、おそらく私のように「苦手だから」「点数が取れないから」という理由で勉強に身が入らなくなる人もいるかもしれません。しかし、やってみなくては何も変わらない。前やってダメだったから次もダメだなんて思わないでください。人は必ず成長します。それは信心も同じです。私は創栄館で初めて信心のすばらしさを身をもって体験しました。
 
 このような素晴らしい経験をさせてくれたお母さん、創栄館の先生方に改めて感謝申し上げます。
 
 必ず創価大学で人材となりますので、これからも応援よろしくお願い致します。
 

沖縄県出身 松山 由莉音

この度私は2浪の末、創価大学看護学部に合格することが出来ました。
 
 私は高校1年の時に創大のオープンキャンパスに参加し、キャンパスの素晴らしさ、創大生の温かさに感銘を受け「絶対創大に行く、私もそうなりたい」と思い、創大受験を決意しました。しかし、その当時は塾に通っていたものの勉強に全然身が入っておらず恰好だけが一人前でした。なので、公募推薦・全学・一般と受験しましたが、落ちて当たり前。正直、泣けるほどの悔しい気持ちもあまりありませんでした。しかし、創大へ行きたいとの思いは変わりませんでした。
 
 浪人させてもらうことになり、地元で予備校を探していたところ、地元の学会員さんから創栄館を紹介してもらいました。そのときはもう4月に入っていて、創栄館では既に授業が始まっていると聞き、悩む時間もなく入塾することを決めました。
 
 初めは慣れない環境に不安でしたが、同じ沖縄県から来ていた友達が私の心の大きな支えになりました。でも1浪目では正直、勉強より話している方が楽しくて、山口県に来た本来の目的を重く見ていなかったこともありました。肝心の勉強で、先生方がおっしゃっていた毎日の復習を疎かにしていたので、勉強量が明らかに足りていませんでした。
 
 12月に塾内の学力テストをしたとき、私は創大の試験において英語がどれほど重要か再確認させられました。それは、総合点で合格基準点を越えていたとしても、英語が8割以上得点していなければ不合格になりうるということです。それからは絶対に英語重視で勉強しなくてはならないと思いました。ですが、そう分かっていても私の悪い癖で、勉強していても楽しい生物基礎に逃げていました。これが1浪目に不合格だった原因の1つでした。
 
 1浪目が終わり地元に帰ったとき、応援して下さっていた地区の皆さんや友達に合わす顔がありませんでした。しかし両親も地区の方々も「絶対意味があるから」と励まして下さり、再び下関へ送り出してくれました。
 
 2浪目、私は1浪目で犯した失敗を繰り返さないことを決め、挑みました。
 
 3月末から始めた勉強は、地元に帰っていた間に忘れた単語・熟語を授業が始まるまでに覚えなおすことからスタートしました。それから、「去年やったから」と英文法の基礎固めを疎かにせず学びなおし、また、英検2級の対策にも取り組みました。後に、この英検対策が合格できた大きな要因の1つになりました。なぜなら、今年度は英検2級で2200点以上取ると創大の英語の点数が80%に換算できるシステムがあったからです。
 
 6月には英検2級に合格したものの、2200点には届かず10月に再挑戦。筆記・リスニングが前回より大分良くなり、苦手な面接も祈りに祈った結果、前日に先生と練習した問題がそのまま出題されたこともあり、見事2240点という点数を勝ち取ることが出来ました。
 
 試験前にも祈り、結果が出るまでも祈りました。そして、私はこのとき「唱題し努力すれば結果は出る」と感じ、少しずつ祈りの確信をつかむことが出来ました。
英検に合格し、英語に対しては少し気持ちに余裕が出てきたので、1浪目では合わないと逃げていたセンター対策にもきちんと取り組み、向き合うことが出来ました。
 
 しかし、本番当日のセンター英語では自分の思うように成果を発揮できませんでした。
 
 理科基礎では目標点数より低く、センターでの合格は諦めていました。
 
 気持ちを切り替え、全学・一般に向けて、私は理科基礎に力を入れました。1浪目で順調に8割まで点数を伸ばした生物基礎が、2浪目には何故か4割にまで一時下がったこともありました。私は不安と焦りに駆られましたが、また、一から今までやったテキストを振り返り、参考書を熟読し、祈りました。
 
 そして、全学・一般は落ち着いて試験に臨むことが出来、理科基礎も8割を取ることが出来ました。結果、諦めていたセンターにも合格し、全学・一般と3つの試験で全て合格を果たすことが出来ました。
 
 私はこの2年、創栄館で大きく成長できました。特に信心の面では、私は恥ずかしながら高校3年までろくに勤行唱題をしてきませんでした。しかし、創栄館に来て、朝・晩と毎日皆で勤行する中で習慣づき、高3より1浪目、より2浪目と唱題があがるようになりました。なので、合格発表前には「たくさん唱題あげたから大丈夫」と自信もありました。そしてこの浪人生活には「意味があったんだ」と実感することが出来ました。
 
 最後に、いつも私の背中を押してくれ、温かく見守ってくれた両親、御指導して下さった先生方、応援して下さった地区の方々、友人には感謝の気持ちでいっぱいです。これからも信心根本に、何事からも逃げず、人材になれるよう頑張ります。
 
 2年間本当にありがとうございました。

和歌山県出身 木造 亮央

 この度、創価大学法学部に合格することができました。創栄館の先生方、家族、地域の方々に、心から感謝申し上げます。
 
 僕は中学・高校と勉強はもちろん何かに取り組んだり、頑張ったりしたことはありませんでした。精神的にもかなり打たれ弱い性格で引きこもり気質でした。しかし、高校3年の進路を決めるときに、こんな自分を変えたい、大学に行って色んなことに挑戦してみたいという気持ちが芽生えてきました。けれども、当時の状態では、学力的にも行ける大学はなかったので、宅浪することに決めました。
 
 創価大学を目指したきっかけは、浪人を決めた少し後に、「一度でいいから創大のオープンキャンパスに行ってみようよ」という母からの提案を機に、創大に行ったことからでした。最初は、言われるがまま軽い気持ちでしたが、いざ行ってみると、僕が思っている以上に魅力溢れる場所で、そこにいた創大生の方々の明るく元気な姿は、僕とは別世界にいるように感じたのを今でも覚えています。そして、自分も入りたいという気持ちが日に日に強くなり、目指すことに決めました。
 
 それから、創大に入るために、近くの塾に通い勉学に励みました。ですが、宅浪という何の縛りもない生活では、元々自分に甘い性格の僕にとって、家で頑張り続けることはそう長くは続きませんでした。結局、塾も数か月で辞めてしまい、勉強もしなくなり、ずっと家に引きこもっていました。時間だけが過ぎ、自分が何をしたいのかも分からなくなり、自暴自棄になっていきました。そうして、あっという間に1年が過ぎてしまいました。
 
 もう受験は諦めようとおもいましたが、創大で自分の夢を実現させたいという気持ちだけは、勉強はほとんどしていなかったけれど、まだ心の中に残っていて、諦めきれませんでした。親に2浪させてもらえるように必死に頼み、ネットで創栄館を見つけ、藁にもすがる思いで、入学しました。
 
 入学してから、初めてのことばかりで苦労することが多々ありました。勉強面では特に英語が苦手で、be動詞も分からなかったので、毎日英語の担当の橋本先生に一日中質問していきました。塾が終わってからも、夜遅くまで勉強し、休みの日に図書館に行って勉強したりと、寝る間を惜しんで毎日目標を決めて取り組み、成績も少しずつ伸びてゆき、順調に思えました。
 
 ですが、入試が近くなってきた11月頃、徐々に入試への不安な気持ちが膨れ上がり、何に対しても無気力になり、ついには塾も休みようになりました。僕がそんな状態だったので、創栄館の友人が心配して来てくれたり、塾の先生方に、何とか復帰できるように何度も励ましていただきましたが、僕は聞く耳を持てずにいました。
 
 そして、再び以前と同じことを繰り返し、当然、試験も合格することができませんでした。
 
 そんな中、この先どうするか何も考えられなかった自分に、木本先生が「必ず乗り越えられるよ。途中まで頑張っていたんだから、一緒にもう一年頑張ってみようよ」とおっしゃっていただきました。まだこんな自分を気にかけてくれる先生の温かさに、胸がいっぱいになり、苦難を乗り越えて自分勝つことと、必ず創大に入る最後の年にすることを心に決めました。
 
 塾が始まる前の3月から、今まで遅れた分を取り返すために、家で猛勉強していました。4月から6月にかけて、英語の基礎を重点的に復習し、英検2級に向けても勉強しました。今年は、英検2級以上のスコアが2200点以上ならば全ての創大の英語試験が80%に換算される制度がありました。勉強の甲斐もあり、試験の結果、そのスコアに到達することができました。夏からは、現社は現代社会集中講義、英語はNEXT STAGEと英単語を何度も何度も繰り返し、時には声に出して覚えていきました。そして、9月から12月まで、苦手な分野や、センター・創大の過去問に力を注いでいました。中でも毎日英語に触れることを大切にしていました。この頃にも、精神的に不安的な時期が少しありましたが、不思議と自分で調整して前に進んでいけました。
 
 そうして、最後まで諦めずやり切ったおかげで、国際教養以外は全ての学部に合格することができました。今年のテストを塾で採点してもらった結果、創大の全ての英語・現社のテストで8割を超えていたので、成績も伸びを感じ、とても嬉しかったです。
 
 今年は成長の糧となるものを色々学びました。1つは友人の存在です。気が合う友人と出会え、お互いに切磋琢磨し合いながら過ごした毎日はとても充実していました。次に、信心の大切さです。先生方がいつも言われていた信心根本にやっていくことの重要性を今年は特に痛感しました。最後に、自分の弱い部分を克服できたことです。今までずっと前に進めずにいましたが、僕にとって逃げ出さずやり通したこの1年は、大きな一歩になりました。夕方の勤行の後にみんなで声に出して言う「戦いは勝つと決めた方が勝つ」「根気の強い方が勝つ」「粘り強い方が最後に勝つ」の意味が、今は身に染みて分かります。
 
 色々書きましたが、どうしようもなかった僕なんかに、最後まで支え、御指導していただいた創栄館の先生方には感謝の気持ちで一杯です。本当に、本当にありがとうございました。
 
 最後に、繰り返しになりますが、ここまで応援していただいた両親、先生、地域の方々に重ねてお礼申し上げます。創大では、貢献していける自分に成長し、前途洋々とした気持ちで精進します。お世話になりました。

福岡県出身 北風 英明

僕は高校3年生の夏に創価大学へ行くことを決めました。しかし、小学校の頃から野球を続けていて、高校に入ってからは部活と勉強の両立をするのが難しく、勉強を疎かにし、成績が全く良くありませんでした。
 
 僕は野球がしたいという気持ちが強かったので、姉が創価大学の卒業生ということもあり、創価大学野球部のセレクションを受けに行きましたが、結果は不合格でした。しかし、そのときには地元九州の大学から野球の特待生として内定をいただいていたので進路は決まっており、高校の野球部の監督に報告をしに伺いました。その日に監督が学校にいらっしゃらなかったので、家に帰り、一人でもう一度進路について考えました。
 
 考えた末、そこでやっぱり創価大学に行きたいという思いが強くなり、家族に相談したところ「今の学力では難しいかもしれないが、勉強すれば必ず合格できる」と強く背中を押してもらい、大好きだった野球を諦めてでも創価大学に行こうと、受験を決意しました。
 
 現役受験のときには英単語を覚えるのに苦労し、勉強の仕方もあまり分かっていなく、基礎が全然できていなくて不合格となりました。家族と話し合って1年浪人することを決め、父親から創栄館を勧められました。実際に来てから、ここはとても良い環境だと思い、創栄館で浪人することを決めました。
 
 創栄館では単語や文法の基礎から始めました。英語に関しては徐々に実力がついてきたと実感するようになっていましたが、現代社会がとても難しく感じて不安だったので、英語と現社に関して主に力を入れて勉強に取り組みました。夏ごろになると、だいぶ学力とともに自信がつき、創価大学に合格するイメージができるようになりました。
 
 また、10月創栄館の先生に休みをいただいて創大祭にも行かせていただきました。創大に行って自分がしたいことなどを改めて確認でき、モチベーションが上がりました。
 
 12月くらいから創価大学の過去問を解き始めました。一時は自分が思うような点数が取れない時期があり、ネガティブな考え方をしていたことがありましたが、「自分はなんのために創価大学へ行くのか」という初心を思い出し紙に書き、自分の部屋に貼るなどして、ポジティブに考えようとしました。創価大学は文法の問題がたくさん出題されると思い、過去問で解けなかったところを復習したり、調べたりして勉強しました。木本先生や英語の橋本先生から英語が大事だと常に言われていたので試験前にはほとんど英語の勉強をしていました。
 
 全学統一と一般入試の試験当日にはとても緊張しましたが、今まで自分が勉強してきたことを信じ、自信をもって試験に挑みました。全試験を終えて、自分の感覚としては悪くないかなという感じでした。合格発表の日は、期待と不安の中で迎えました。発表の結果は父親と姉と3人で見ました。法学部と教育学部教育学科と児童教育学科に合格しているのを目にすると、家族全員が泣いて喜んでくれました。そこで僕は「頑張り続けて本当に良かったな。」と心の底から思いました。慣れない一人暮らしの生活の中で、勉強しながら炊事・洗濯・掃除は身体的にも精神的にもストレスがあったりもして大変でしたが、「必ず合格する」という強い気持ちで様々な困難を乗り越えられました。
 
 1年間本当に親身になって勉強や信心の大切さを教えてくださった先生方と、どこまでも僕を信じて応援してくれた家族に心から感謝しています。春から教育学部で学び創価教育の素晴らしさを示していけるような人材へと成長してまいります。

京都府出身 山口 創

僕は小学校の頃から度々創価大学を訪れる機会があり、僕にとってとても身近に感じる大学でした。最初の頃は「行けたらいいな~」くらいにしか思っていませんでしたが、高校2年生の時に「創価大学に行きたい。」と強く思うようになる機会がありました。そのとき僕は勉強を最低限しかしておらず、卓球部の活動にばかり力を入れていました。
ある日、創価大学2回生だった姉が創価大学の卓球部の部長に連絡をとって、僕が練習に参加できるように取り計らってくれました。そして、練習に参加させていただいた中で、先輩方からたくさんのアドバイスや創大に関するお話を聞かせていただき「創大を目指そう」と強く思いました。
 
 しかし、「行きたい行きたい」と口だけが先走り、勉強は相変わらず最低限でした。そして高校3年になり、焦る気持ちがどんどん増し、夏休みには図書館にこもる日々でした。秋ごろには受験からどうしても逃げ出したくなり、両親に違う進路を相談したりもしました。両親は「あんたの進みたい進路に行き。でも、受験が嫌だっていう理由で進路を変えるなら絶対に後悔する。断言できる。」と言われ、自分と向き合い最後まで頑張ることに決めました。
 
 そしてセンター試験・全学統一が終わり、本命の一般入試。手も足も出ず試験中絶望したのを覚えています。不合格の通知が届き、自分は勉強していたつもり、あくまでも「つもり」だったのだと気付かされ、悔しさ、怒りなど様々な感情が生じ、親と口論したり、遊びほうけたりしました。自分のこれからのことはほとんど考えておらず、適当に就職しようと思い、履歴書を書き始めたとき、母から創栄館の存在を聞きました。自分の中では就職で固まっていましたが、とりあえず見学に行き、先生から話を伺ったり、みんなが真剣に勉強している姿を目の当たりにして、「やっぱり行きたい」と思いました。あれだけワガママを言い、暴言を吐いていた自分を「頑張ってきいや。ずっと応援してるしな。」と送り出してくれた両親には感謝してもしきれません。
 
 そして入校し、自分にとって最初の挑戦、英検がありました。英検2級で2200点以上取れば創大の試験で8割以上が確定するという制度を知り、無我夢中で勉強し、友達と面接練習をしました。しかし結果は2198点。2点に泣きました。かなり落ち込んだのを覚えています。
 
 そんな時、一番支えになったのは友達の励ましでした。やはり、創栄館が他の予備校と違う大きな点は、全員が同じ目標を掲げ一丸となって創価大学を目指すということだと思います。親、先生、友達のおかげで「まだまだこれから。」と前を向けました。夏期講習に入り、夜8時まで授業の日々でした。正直、毎日変わらぬ日々に精神的にしんどくなった時もありましたが、夏期講習が終わったときには達成感と充実感、そして何より自信を得ることができました。
 
 秋ごろからは目に見えて点数が伸びだしたと共に、教室の雰囲気も緊張感が増していき、より一層気が引き締まりました。今思うと、秋以降は本当にメンタルとの勝負だったと感じます。将来が決まってないことからの不安、本当に自分は合格出来るのかと自信をなくすなど後ろ向きの感情が押し寄せてきて、前向きに考えることに必死でした。
 
 そんなときでも、やっぱり友達と支え合い切磋琢磨したことで、改めて持つべきものは友だと実感させられました。
 
 そして冬になり、いよいよセンター試験当日。普段以上の手応えがありました。全学統一、一般入試でも手ごたえがあり、成長したのを改めて実感しました。結果は無事、受験した学部全て合格でした。
 
 正直、この1年は本当に大変だったし、しんどかったです。でも、それ以上に得たものが大きく3つあります。
1つ目は今まで何度か述べた通り「友人」の存在です。仲良しこよしではなく、同じ勝利を勝ち取る仲間であり良きライバルの存在がとにかく大きかったです。
2つ目は「感謝」です。こっちへきて何もかも一人でする生活になり、普段当たり前のようにしてもらっていた家事、事細かく指導してもらえる環境、様々なことに感謝せねばならないと思いました。この恩を少しずつでも返せるように創大で飛躍し、活躍していきたいと思います。
3つ目は「向上心」です。諦めないことはもちろん、現状に満足することなく常にハングリー精神で挑むことで、自分自身成長できたと思いますし、たくさんのことを吸収できたと思います。
 
 最後になりましたが、両親、先生方、友人、地域の方々、そして先輩方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。
この創栄館での経験を糧にまだまだ成長し続け、何かしらの形で恩返しをしたいと思います。1年間本当にありがとうございました!!
 
Winter always turns to spring!

大阪府出身 小宮 悠生

このたび、創価大学法学部に2浪の末、合格することができました。
僕が高校1年の時に妹が関西創価学園に合格して頑張っている姿を見て、僕は世界の人材になりたいと思いました。高3になって創価大学のオープンキャンパスに行ったとき、一人一人が輝いていて、素晴らしい大学だと思い、目指すことを決意しました。
 
しかし、僕の高校生活は部活に力を注いで勉強の方はテスト前にするぐらいで、創価大学の入試を甘く見ていました。その結果、不合格でした。その後、親と話し合いの結果、浪人させてもらうことが決まり、予備校を探しているときに、偶々創栄館を見つけました。そこで僕は合格体験記を見て感動し、親にお願いをしました。1年限りという条件で、下関に送り出してくれました。けれど、僕は英語の基礎がボロボロで行く前に授業についていけるか不安になり、何度も先生方に電話をしました。先生方は優しく、適切なアドバイスをしてくださり、そこで4月~6月は中高の基礎から指導してくださると言われてとても安心しました。
 
4月からは英単語と文法など基礎になるところから始まりましたが、そこで僕は大きな失敗をしました。それは、木本先生が何度もおっしゃっていた「朝と夜の復習」を怠っていたことです。その結果8月の時期のテストでは英語でクラス最下位でした。今振り返ると、この基礎を固める時期は受験の中でもとても大切で重要な時期だと思います。基礎がなっていなかったら、なかなか点数を上げるのは難しいです。
 
10月に僕は初めて英検準2級を受験しました。初めてでしたが、橋本先生のアドバイスに加え、こちらからも質問をすることで点数がだんだん取れるようになりました。合格を勝ち取ったときは自信もつきました。
 
先生に質問をし、分からないところをなくしていくことは大切です。先生に質問をしている人たちはやっぱり成績もとてもすごかったです。
 
入学試験の時期が近づいてくると、不安になることや他の人の成績が気になったりしてメンタルが追い込まれそうになりました。そこは他の予備校にはない朝晩の勤行唱題で乗り越えることを学びました。唱題をすることで勉強もはかどり、勉強→唱題→勉強→唱題のリズムを身体に刻むことができたことは本当に良かったと思います。
 
試験の日はあっという間に来ました。結果は不合格でした。僕はそこで絶望の中にいました。正直その時、先生や両親に申し訳ないと思い、誰とも話したくない状態になりました。
 
僕の敗因は、基礎不足、自信のなさでした。僕は1年限りと言われていたけれど、創価大学に行きたいという気持ちは、この浪人している時期の先生のお話、創大の先輩方とのお話でますます強くなっていって、諦めることができませんでした。先生や親に相談をし、2浪目をさせていただくことができました。僕を信じてもう一度チャンスをくれ、下関まで送り出してくれた両親には感謝してもしきれません。
 
2浪目をする際に僕は10時間唱題をして決意したことがあります。それは、1浪目で失敗したことをしない、自信をつける、そして自分の努力で家族に貢献することです。
 
2浪目が始まって、僕は復習を徹底して文法と単語を叩き込みました。現代社会などの教科は、友達と問題を出し合ったり、語呂合わせを作ったりなどの工夫をして覚えていきました。創栄館の友達は同じ目標を持ち、高め合い、苦楽を共にする同志であり、自分にとっては大きな力になった存在です。感謝しています。
 
6月・10月には英検2級を受け、9月にはTOEICを受験するなど試験を積んで自分に自信をつけていきました。さらに僕は過去問を何周もして「合格できる」と自分でも思えるくらいにやり込みました。その結果、英検も2回合格しました。勉強していく中で分からないところを先生に何度も質問しました。先生方は一人一人にわかるまで真剣に向き合ってくれました。また、僕たち生徒のことを第一に考えてくれています。なので、授業が終わってから、何度も勉強や生活について相談することがありました。そのおかげで、メンタルの部分も強くなっていきました。11月頃から創大の過去問やセンターの過去問をやることが増えてきましたが、1個のテストで一喜一憂せずに、次のテストで前回の点数を上回ることを考えてやっていました。そう考えて勉強していくうちに3教科の合計点数が1浪目の頃と比べて100点も伸びていました。自分でも成長していると実感できました。
 
いよいよセンター試験の日が来て、今までの唱題と勉強したことが自信につながり、試験が終わったときには、今まで以上の手応えがあり、自信がありました。その後の全学・一般入試も落ち着いて解くことができました。その結果、全部の試験で合格を勝ち取ることができました。
 
親に合格を報告したときは、自分のことのように喜んでくれました。親からは「あなたのおかげで私も成長できたよ。信心の確信もまた得られたよ」と言われました。そのとき僕は、2年間頑張ってよかったと本当に思いました。地区の方々も泣いて喜んでいると聞いたときは、自分の努力が周りの人に感動を与えられたとわかり、嬉しかったです。
 
僕は創栄館で大きなことを学ばせてもらいました。それは、勤行唱題の大切さ、同じ目標を目指す友の存在、いつもそばで応援してくれる家族、友達、地区の人たちの存在です。
 
僕は創価大学の入学に遠回りをしましたが、全部に価値がありました。ここで学んだことを大学でもっと活かして、信心根本に大人材に成長していきます。家族を大切に、いい結果を出して、恩返しをしたいと思います。
 
ここまで成長させてくれた先生方、本当に感謝しています。2年間お世話になりました。
 
ありがとうございました。

福岡県出身 梶原 春華

私は3浪目にして創価大学の合格を勝ち取らせていただきました。ずっと支え続けてくださった両親や学会家族、先生方に感謝申し上げます。
 
 私が入塾したのは、高校卒業した7月頃でした。もちろん、周囲の人との差は激しく、私の中学生以下のレベルでは、ついていくのに必死で、基礎をやる余裕もなく、応用問題ばかりを暗記することしかできませんでした。1浪目の受験では何の手ごたえも感じることなく不合格。その時私は「受験」というものに自分の醜さを見せつけられました。SNSでは周りの友人たちが楽しそうにしていて、その様子を眺めるたびに私の心は引き裂かれるような思いがしました。
 
 私はたまたま新聞の切り抜きを読みました。
「あきらめや弱気を打ち破るのも勇気だ。勇気のない人はいない。出してないだけなのだ。」
という言葉に励まされ、逃げの心や甘えを打破することが出来、2浪を決意しました。
 
 2浪目を共に戦っていく同志と、私たちは常にお互いをライバル視し、切磋琢磨していきました。その中で、去年の自分が勉強できていなかった基礎からしっかりと勉強していきました。先生は「この1年で3年分の勉強ができる。」とおっしゃいました。それは、朝早く来て勉強し、授業中ためらわず質問をし、帰って復習をするということです。先生の言う通り、朝一番に来て掃除をしてから一日勉強をしました。もちろん2浪目というプレッシャーに押し潰されそうな日もありました。人間なんて所詮、甘えた生き物です。一人でいる限り、どうにかして甘えようとします。でも先生は毎朝、自分たちに厳しい言葉を言ってくださいました。けれど、その愛情をいっぱいに受けていたはずなのにそのことに気づかず、ただただ自分の不甲斐なさを憎み、周りの点数に一喜一憂したり、机に向かっても悩んだりして、題目をする中でも不安で満ち溢れ、夏の終わりから、成績が伸びなくなっていきました。その不安から抜け出せず、当日の試験で隣に座っていた受験生による机の揺れ、鉛筆の音などで自分のペースが乱れ、自分の力を発揮できず、新傾向にも対応できず、最悪の結果に終わりました。
 
さすがに涙が止まらず、カラ元気で受かった子たちと別れをしました。そこからは、なんで泣いているのか分からないくらい毎日泣きました。「自分は何もできないダメ人間だ。」「心が汚いから御本尊様も聞いてくれてないんだ。」と自分を責めるようになりました。そんな状態で、私は中学の部活をしていた頃を思い出したのです。当時、バレー部のレギュラーとして活躍し、最後の中体連前、急にレシーブができなくなり、得意のサーブもできなくなっていきました。そのときは同級生や後輩たち、怖いコーチに責められ、誰一人味方がいなくて、このままだとチームが負けるという理由で辞めました。
 
 今思うと、それは完全に「逃げ」でした。そして、親からは「必ずいつか同じ魔が来るからね。」と言われていたのを思い出しました。
 
 「ここだ。」と私は思いました。先生や両親は、去年の頑張りを見ていて下さり、ラストチャンスを下さいました。私はここでまた逃げたら、人生が終わるなと思いました。私は先生と計画を立て、3月から早めに勉強に取り掛かりました。基礎はもうできていたので、皆と違う、難しい教材をしたり、英検準1級にも挑戦をしました。でもやはり、夏期講習前までは、キツくて、涙が止まらず、座談会などで、成功した話や体験談などを聞くと、自分がみじめに思えてきて、毎日病んでいました。この弱い心を克服しないといけないと思い、なるべく人と関わらず、とにかく勉強に没頭しました。皆でやるテキストに加え、TOEICの勉強をしたりして何度も受験と喧嘩しながら机に向かう日々が続きました。
 
 お母さんから、「創大のオープンキャンパスへ行こう。」と提案があり、行くことになりました。創栄館にずっとこもっていたので世界を狭く感じていましたが、キャンパスに着くと、いろんな意味で広く見え、創大生も皆輝いて見えました。また、大聖堂で出会ったSGIの方々と話す機会があり、母は折り鶴を渡し、アメリカSGIの方が、「次に青年部総会を開くために大きな誓いをしに来た。」と言われていました。QRコードの付いたカードを渡され、観てみるとSGIの活動の動画でした。それに感銘を受け、英語を使って私も将来は世界で活躍したいと思い、塾に戻ってからさらに勉強に取り組みました。
 
 私は試験前までには、既に動じない心が出来上がっていました。センターも全統も一般試験も何も怖くありませんでした。ついに、長い時間はかかりましたが、合格を勝ち取ることができました。創栄館は、精神的にも、信心や勉強面でも大成長できた、かけがえのない原点となりました。先生方を信じてきて本当に良かったです。改めて、本当にありがとうございました。必ず人材になってみせます。
 
 これから創栄館で勉強される方へ
 「浪人生だけど合格できるのか。」私は多浪の中、多くの浪人生が受かっているのを目にしてきました。そして私は3浪目にしてセンター/全学/一般と合格しています。私が証明です。
「これまで頑張ってきたけどそれでも合格できない。もう1年で本当に合格できるのか。」と思う人もいるでしょう。それも「絶対自分は大丈夫」だという強い気持ちがあれば、合格できます。これまでちゃんとやってきたのならば、グッとチャンスは大きくなるはずです。ですから、この1年で自分に何が足りないのかを見つけ、それを埋めながら積み重ねればいいだけです。自分に負けず頑張っていきましょう。応援しています。

山口県出身 岸本 美咲

この度、創価大学教育学部教育学科に二浪の末、無事合格することができました。
 
 まず最初に、私が創価大学を受けようと思ったのは、高校2年の夏、私が母に進路の相談をしたとき「創価大学はどう?」と提案してきたのを機に、その夏のオープンキャンパスに参加し、他の大学にはない魅力に惹かれ、この大学に行きたいと決意したのがきっかけです。
 
 しかし、私は商業科で、英語の授業レベルが低く、私もテストで点が取れればいいと思ってその場しのぎの暗記しかしてこなかったので、私自身の英語の学力は中学生くらいでした。だから、どのように勉強すればいいか分からず、受験勉強を始めたのは公募推薦の2ヶ月前くらいでした。結果はもちろん不合格でした。その後も、全学・一般試験を受けましたが不合格でした。そんな時、ネットで創栄館という存在を知りました。下関という事もあり、すぐに行きたいと両親に相談しました。最初、父が反対していましたが、母が説得してくれました。
 
 一浪目、私はネットで合格率100%という文字を見て、創栄館にいたら1年で合格出来るんだと思っていました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。結果から言うとまた不合格でした。この結果を見たとき、凄く凄く悔しくて涙が止まりませんでした。しかし、正直いうと、試験が終わった後、合格したという手応えを全く感じませんでした。けれど、いくら後悔してもどうしようもないので、私は前を向くしかないとすぐに気持ちを切り替えました。先生方とも話し合い、もう1年ここで勉強させてくださいとお願いしました。そして最初反対していた父が「自分のやりたいようにやりなさい」と言ってくれ、私はこの悔しさをバネに、次こそは絶対に合格を勝ち取ると強く決意しました。
 
 私が落ちたのには4つの原因がありました。
 1つ目は、一番大事な英語の基礎作りの4月~6月の時期を疎かにしていたからです。なので、7月の夏期講習では痛い目を見ました。基礎の土台ができてないのにいくら応用を積み重ねていっても点数はある一定のところで止まり、それ以上伸ばそうとしても伸びませんでした。なので、英語の合格ラインの105点を超えたことは3回しかありませんでした。
 
 2つ目は、きちんと復習をしていなかったからです。先生方は何度も何度も「復習が大事だ最低でも3回は復習しなさい」と言われていました。なのに、私は復習を甘く見ていました。それに、私は家では勉強ができない人でした。創栄館では集中して勉強ができるのに家に帰ると、やろうと決意していてもできないことの方が多かったです。そこで、二浪の時は、図書館に行って勉強していました。また、11月頃からは、夜、残って勉強していました。特に夜は、復習の時間にしていました。
 
 3つ目は、親元を離れての生活で浮かれていたからです。また、友達とずっと一緒に過ごしすぎたからです。やはり、友達といると自分のペースで勉強することができなくて、自分と向き合うことを避けていました。それは自分の意志が弱かったからです。
 
 4つ目は、質問回数が少なかったからです。先生方には落ちた後の話し合いの時に「あなたは質問に来る回数が少なかった。もう10~20回ほど質問に来ていたら合格していたのにね」と言われました。創栄館では、自分の分からないところ、躓いたところを質問し、理解し、潰し、自分のものにしていくことが合格へのカギだと私は思いました。先生はそのためにうるので、質問に多く行ったものが勝ちだと思います。
 以上が私が落ちた原因です。
 そしてなにより、創栄館が他の予備校と違うところは、朝晩の勤行があり、信心を深めていけるところだと思います。しかし、一浪目の私はそれまで勤行唱題をあまりしてこなかったので、導師のやり方も分からなかったし、鈴の鳴らすタイミングも分かりませんでした。また、どのように祈ればいいかよく分からず、御本尊様を信じて祈る力が足りませんでした。
 
 二浪目は自分がした過ちを二度も繰り返さないと決意して過ごしました。先に述べた4つの原因を教訓にして勉強しました。特に二浪目は一番大事な基礎の時期である4月~6月で、とにかく自分の躓いていたところを先生に質問し、潰して、自分のものにしていきました。英単語も繰り返し読んで覚えていきました。また、復習もきちんとしました。文法はその日やったところを自分なりにもう一度ノートにまとめて理解していきました。こつこつとそれを継続していきました。すると、一浪目の時に苦しんだ夏期講習で自然と点数がついてきました。自分でも成長しているのをどんどん感じることができ、勉強するのが楽しくなりました。そのころぐらいに、先生方に一浪の時に比べたら180度変わったと言われました。二浪目は孤独になったことが一浪目と大きく変わったところだと思います。そして、合格へ繋がった要因でもあります。孤独になると自分のペースで勉強に取り組むことができ、いやでも自分と向き合うことができて、自分のしなければならないことが明確になりました。人それぞれ勉強のペースや量は異なります。自分の場合は、完全に周りから孤立しては、精神的な面で受験の重圧に押し潰されてしまうので、仲間とは程よい距離感を保っていました。創栄館の仲間は、一緒の目標に向かって戦う仲間であり、ライバルだと私は思っていました。
 
 そして、冬期講習とそれ以降はとにかく過去問を解きました。創価大学を安心して合格するのは英語が7割必要です。私が7割を取るためにしたことは、文法とイディオムを強化しました。先生から配られた即戦ゼミやクローザーの他にNEXTステージを使い、一浪では正解率が半分くらいだったのを全問正解を目指し、ミスしても1、2問と決めていました。さらに、発音・アクセントもNEXTステージを使いました。
 
 特に私は長文が苦手で、どのようにしたら読めるようになるのか一番悩みました。そこで私は問題集の長文を繰り返し読んでとにかく長文に慣れさせていきました。すると、創栄館では課題で英字新聞の物語が出るのですが、一浪目の時は日本語訳がメチャクチャで読めなかったのが、二浪目ではスラスラ読んで日本語訳出来るようになりました。また、長文は繰り返し読むことで何度も出てくる単語やイディオムは自然と覚えることができました。英単語の4500のCDをウォークマンに入れて繰り返し音を聞いて読んで覚えました。4500の細かい単語も覚えたら十分語彙力はつくと思います。また、過去問を解いていくうちに創大がよく出す問題やイディオムなどがなんとなくわかってきます。それは現代社会と国語の過去問にも言えると思います。
 
 大事なのは、分からないところを分からないままにしておかない事です。何度も言いますが、分からなかったら自分で調べてみて、それでも分からなければ先生に質問しに行く事です。
 
 最後に、私は一浪の時と大きく変わったところはもう一つあります。それは、勤行唱題に対する姿勢です。一浪で落ちたとき、自分が創大に合格するためには、もう御本尊様を信じて祈り切るしかないと思いました。それからは木本先生の言われた通りに、具体的に明確に真剣に祈っていきました。また、仏智を下さいと祈り続けました。さらに、国語がどうしようもないくらい伸びなかったので、読解力と理解力を下さいと強く強く日々祈りました。明らかに一浪の時より御本尊様を信じて自分は絶対合格出来ると自分自身のことも信じて最後まで祈り切ることができました。そして試験までの18日間は1日1時間みんなで勉強する前に唱題し、試験に臨みました。試験会場に向かう新幹線の中で4500のイディオムを見てたところが英語の試験でちょうど出たり、現代社会でも直前に見てたところが出てびっくりしました。一浪の時とは違い、合格の手応えを強く感じました。結果、センターでは1学部、そして、全学・一般入試では受けた学部全てで合格を勝ち取ることが出来ました。一浪目の不合格を見たときは本当に絶望のどん底でしたが、そこから這い上がってもう1年勉強できてよかったと思いました。英語が中学生レベルの自分でもここまでくることができ、自分にも不可能を可能に変えることが出来るのだと、これからの自信になりました。
 
 この合格は2年間最後まで支えてくれた家族、先生方、また、地域の方々、そして、1年目の仲間、2年目の仲間、2年間ともに戦ってきた仲間がいての合格です。本当に感謝しています。この2年間を自分の原点として、これからも信心根本に創価大学では自分の使命を見つけ、人に求められるような人材に必ずなります。そして、両親を大切にします。
 
 今まで応援してくださった皆さん本当に2年間ありがとうございました。
 先生方、2年間大変お世話になりました。

静岡県出身 米山 昌美

この度、創価大学文学部に合格することができました。いつも心の支えになってくれた家族、最後まで見守り励ましてくださった先生方、私を成長させてくれた創栄館のみんな、そして、応援してくださったたくさんの方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。
 
 私が創価大学を目指そうと思ったのは、高校2年生でした。まさか、自分が創価大学に行きたい!と考えるようになるとは思っていませんでした。しかし、言語を学ぶのが好きだったので、大学に行って色々な言語・文化を学びたいと思ったのがきっかけとなり、創大のパンフレットやオープンキャンパスに行き、私にはここしかありえないと思ったのが始まりです。しかし、最後まで頑張りましたが結果は不合格でした。
 
 創栄館に来ることができたのは、公募推薦の時に創栄館の先輩であり、高校の先輩が偶然私のことを見つけてくれたからでした。そして、創栄館の話をしてくださいました。浪人を決めたのは、絶対に創価大学に行きたい、そして、先輩みたいに誰かのために熱くなれる人になりたいと強く思ったからです。
 
 創栄館に来て初めの授業は、2冊の英単語帳をとにかく暗記することでした。1周目は全体でテストし、2周目以降は自分で小テストをしていきます。自分でしていくという事は、手を抜くこともできますが、ここで負けたらこの後も負ける気がし、ここで自分に勝たなければと言い聞かせました。絶対今日はここまでやってやる!と目標を決め、時間を気にしながらやっていました。さらにここに英文法のテキストも加わり、単語の時間が減っても、私はしっかり計画を立てながらやっていきました。
 
 そして、英語のテストで少しずつ力がついてきて、うれしかったのを覚えています。ここで言えるのは、「終わりよければすべてよし」とありますが、スタートがうまくいけばその過程もいいものになって、ゴールはもっとよくなるのではないかなと感じました。
 
 現社と国語は、本当に苦手で嫌いな科目でした。現社は英語と同様、暗記から始まります。正直、辛かったです。しかし、そんなことを言っていられません。ここでも、無駄がないよう目標を決めてやっていきました。調べてもわからない単語や文章があれば、先生に聞いて自分が納得するように、文章を書き換えたりもしました。現社も自分で小テストをし自分の弱い心に負けないことが大事だと思います。今では、ニュースなどを見て難しい単語の意味が分かるようになりすごく楽しいです。
 
 国語は、問題集を解いていきます。私は、本を読むことが嫌いだったので、かなり苦戦しました。分からないところは先生に質問することができますが、その分からないところが分からないのです。でも、質問をしにいかなければ分からないままになります。だから、自分でもう一度読んで、どこが分からないかを考えていきました。そして、自分でその答えの根拠を見つけて納得したらそれでいいし、少しでも納得いかなかったら、先生に聞きにいきました。国語で大事なのは、何度も読み返し、自分で納得し、少しでもわからなかったら先生に必ず聞きに行く事です。
 漢字では、1回のテストで頭に入れる!と決めてかかった方が効率が良かったです。漢文は、高校でやっていたけれど、全くというほど頭に入っていませんでした。だから、ドリルでしっかり基礎をつけ、問題集を自分で書き下しして、漢字を調べて訳してみるとかなり力がつきました。
 
 私が最後まで頑張れたのは、仲間というライバルがいたからだと思います。点数が貼り出されるので、それを見てまだまだ頑張れると自分を奮い立たせていました。また、こんな点数ではダメだと思う前に、誰かがここまでできるなら、私にもできるだろ!とポジティブに考えられたことが今思うと大事だったんだなと感じます。こう思うことができるのは、やっぱり唱題に限ります。私は、正直自慢できるほど唱題をしていないと思います。ですが、30分だったら、本気で祈り、辛かったら「辛いです」、嬉しかったら「今日は~が嬉しかったです」などと素直に話すように唱題をあげていました。
 ラストスパートでは、本当に自分との戦いです。先生は、12月頃になって「孤独になりなさい」と言います。これは、周りに流されず自分と向き合いなさいということです。なかなか自分と向き合うことはありそうでないことです。例えば、点数が良かったから、今日は勉強はもういいやとか、ちょっとくらい授業中に寝てもいいやというちょっとした魔と戦うことです。これは、日常の中であることなので、なかなか向き合うことができません。でも、ここでしっかり唱題をし、勉強すると必ず勝利に繋がります。そして、自分を変えることができます。
 
 私は、最後の2ヶ月、こんなのに負けてたまるか、絶対勝ってやる!と決心し、しっかりやるべきことをしました。そうすると、過去問の点数も上がって、本番もよい緊張感を持って、自分のペースで受けることができました。
 創価大学に行っても、人材になるためにもっともっと成長して、両親にしっかり親孝行をしていきたいです。これから、4年間、自分の好きなことを学べるということに感謝して、やるべきことをしていきたいです!
朝の朝礼で毎日のように、「人材になれ、人材になるんだ」といつも言われました。創大に行って必ず人材になります。
 応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!

沖縄県出身 新田 一惟

まずは、一年間教えてくれた先生方、地元沖縄から応援してくださった地区の方々、下関地区の方々、友人、そして下関という遠い地まで送り出してくれた両親に感謝申し上げます。
 
 端的に話すと、野球で県ベスト4になり、天狗になって、創価大学の野球のセレクション、公募推薦、全学統一、一般、すべて不合格でした。通信教育に行こうか迷っていると、お父さんに、一年間頑張ったほうが成長するよと後押しされ、山口県に飛ぶことになりました。
 初めての一人暮らしはいろいろと大変だろうなと思いましたが、創栄館ではすぐに仲間も出来とても助かり皆気の良い人ばかりでした。
 
 勉強の方は、四月はずっと英単語をやりました。僕は書くより何度もじっくり声に出して読む派でした。発音・アクセントにも日ごろから気をつけていました。
 塾長の木本先生はいつも、朝晩の勤行と復習をしっかりやれば合格できると言われていました。僕は、勤行はしっかりとあげていたのですが、朝が遅く、復習がほとんどできていませんでした。その分夜に集中することにし、教室と気分を変えるため図書館にと頑張り抜きました。
 夏場もひたすら勉強々々の毎日でした。塾が終わるとすぐに図書館に行って夜の9時・10時頃までやっていました。
 秋になると多くの実践問題に挑戦させられ、この頃になると今までやってきた人、やってこなかった人の差が大きく開いて来ることを実感しました。
 冬はもう毎日過去問をやり、お母さんからは×を○に変えるのが大事だ、と言われつくづくと実感しました。この頃には、英語が7割~8割、現社が7割~8割近く取れるようになっていましたが気の抜けない毎日が続きました。
 センター試験の日になり、先生は受からなくてもいい、創栄館は一般入試に重きを置いているから、と言われましたが、僕はあまのじゃくなので、だったらセンターで合格を勝ち取ってみせる!という気持ちで臨みました。
 全学、一般も全ての教科で9割取る!という目標を決めて受験しました、正直言って何の手応えもなく終わってしまいました。しかし僕はセンター試験では7割取っていて、自信がありました。
 
 合格発表当日、とても緊張しながら、まず国際教養学部を見ました。残念ながら落ちていましたが、その他の、文学部・経済学部・経営学部・法学部は合格していました。その他にも全学では法学部、一般では経済・経営・文学に受かっていました。
先生が言われた通り、確実に創価大学は難しくなったという事です。過去問と比較してもそれは一目瞭然です。いくら先生から指摘されても上の空で聞いていれば、それは、勉強をしていないのと同じです。結局は本人がやるかやらないかだということです。
 最後になりますが、山口県で勉強だけでなく、人間的にも大きく成長できたことに本当に感謝しかないです。
東京の地でずっと支えてくれた彼女にも感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

大阪府出身 今井 健一

 まず初めに創栄館の塾長木本先生、橋本先生、滝下先生のおかげで合格できました。
 
最初創栄館に行く事はあきらめていました。経済的に無理だという事と、一番は親に迷惑をこれ以上かけたくなかったからです。なぜなら僕は中程度の難聴を生まれつき持っています。そのため、補聴器を身に付けていないと人と会話をする事ができません。その補聴器にかかるお金を負担してもらっていて両親に申し訳ないと思っていたからです。
しかし、先輩が家に来て創大に絶対行くべきだと説得してくれたり、木本先生のおかげで創栄館に行かせてもらう事ができ、最後に両親の了解と応援をいただき、行く事ができました。
 
今振り返れば、それはすごくいい選択をしたと思っています。創栄館で過ごした10ヶ月は僕にとって最高の10ヶ月でした。
 
小・中学校は楽しかったのですが、高校ではまったく楽しい日々はありませんでした。僕の同期の創栄館メンバーも小・中の同級生も信じてくれないとおもいますが、高校ではまったくしゃべらず、友達も作らず、部活も途中でやめてしまいました。親にすごく心配させました。
 
僕自身、何のために学校に行っているかも分からず、少し鬱になっていました。高校の卒業式を迎えたときは、やっと終わったと思い、これで学校に行かなくていいんだと嬉しかったです。
 
それに比べて、ここでの生活はとても楽しかったです。初めての一人暮らし、創栄館に今年集まったメンバーは遠いところでは千葉、沖縄などいろいろなところから集まってきた生徒、下関ならではの食べ物と行事、どれも新鮮で貴重な体験ができました。
朝の5時に寮を出て6時に唐戸市場に行った事があります。そこでは新鮮な魚がいっぱい売られていて、そこで正月のために魚をたくさん買った楽しい思い出があります。
また、地方独特の方言や言葉がたくさんあってびっくりしました。特に沖縄に関しては全く何をしゃべっているのか全く分からなかったです。
 
創栄館に来て、良かった事があります。1つは、先生にいろいろサポートしてもらえたことです。ほとんど一人でやる事ですが、洗濯や食事、洗い物をしないといけないので、親のありがたみをすごく感じました。食事を用意するだけでも大変なのに、母親はそれに仕事をしていた事に、本当にすごいと思いました。2つ目は、創栄館とゆかりのある人たちとたくさん出会えた事です。
僕は高校3年の冬まで勤行もあんまりやった事がありませんでした。だから、創価大学に行くつもりはありませんでした。僕が創大に行く最初のきっかけは、おばあちゃんに勧められたオープンキャンパスですごくいい印象を持ったからです。だけど、現役では合格できませんでした。
そこで、浪人をするために創栄館に来たら、そこで会った学会員の人たち、先生、友達にすごくびっくりしました。
大学に行かせ「世界の人材」に育てるため予備校の授業料を30回分割で、通わせてくれた事には本当にびっくりしました。そのおかげで創栄館で学ぶことが出来また、また見事合格する事ができました。木本先生ありがとうございました。
創栄館で出会った友達は優しくて、志の高い人たちばっかりなので、驚きました。先生のもとには過去卒業した人たちや、国会議員さん、防衛大学の関係者など、様々な人たちが激励にお見えになる事に感動しました。創栄館に来ることができ本当に良かったです。
 
最後に、僕を支えてくれた両親に「ありがとう」ございました。高校時代、部活を辞め、友達ができなかったので心配と不安を掛けさせてすみませんでした。これからは少しでも恩返しをしていきます。
木本先生、松田先輩ありがとうございました。先生がいたから、僕は創栄館に行く事ができました。今度は僕が「社会の人材」となって先生の期待に必ず答えます。創栄館の日々は辛くてしんどかったけど、自分にとって最高の場所でした。
本当にありがとうございました。

青森県出身 阿保 雄大

 私が創価大学を目指した理由は、工業高校で進路が決まらず、悩んでいたところ、母から創価大学を奨められたことでした。
 早速、オープンキャンパスに行き、先輩方が親切で活気に満ち溢れていた姿を見て、次第に自分も創大生のようになりたいと思うようになりました。
 
 しかし、いざ勉強を始めるとどこから手をつけていいかも分からず、さらに過去問を初めて解くと三割しか点数が取れず大学受験の厳しさを知りました。私はそこから現実逃避するようになり勉強を本気でせず、公募推薦1か月前になって焦って勉強しましたが結果は不合格でした。
 私は落ちて初めて自分の勉強の足りなさを実感しました。そして気持ちを入れ替え一般試験に向けて人が変わったように勉強し、受験前日には、唱題10時間をして、挑みました。しかし、2か月では合格点まで伸ばせず、全て不合格でした。
 私は今まで勉強やスポーツ全て中途半端でした。勉強はテストのとき以外勉強せず、スポーツでは高校のときボイコットしたこともありました。私はこの受験で人生初めてやり切ったと実感したので涙は出ず、自然と浪人してでも絶対に受かると決意していました。
 
 創栄館に行こうと思った理由は、しっかりとした信心ができることと、同じ目標を目指す人達と切磋琢磨できると思ったからでした。
 青森県という遠隔地から山口県に行くということで母が承諾してくれるか不安でした。しかし「やりたいようにしていいよ」と言われ、行くことが決まりました。
 
 創栄館での勉強の日々が始まりました。最初青森県なまりの津軽弁で会話したとき、「フランス語みたい」と言われ、言葉を伝えるのに苦労しました。しかしすぐに慣れました。
 4月から授業が始まり、毎日英文法と英単語をやりました。英文法は最初簡単でしたが、次第に分からないことがでてき始め、そのときは先生に質問しに行き、分からないところを潰していくようにしました。後になって「基礎が一番大事」と先生が言っていた意味が分かりました。なぜかというと創大は文法が多く、それもほぼ基礎中心だからです。
 7月~9月の夏期講習で、過去問を英語中心に解きました。塾での勉強時間が増え、勉強がつらい時期でした。
 10月~12月は冬期講習で創大の過去問とセンターの問題を数多く解き、私は冬期講習が始まるまでほぼ7割以上英語は取っていたので7割は取れるだろうとたかをくくっていたのですが、しかし、冬期講習に入って急に点数が取れなくなりました。
どうしてだろう、なぜ点数が下がったんだろうと真剣に考えました。自分は「満」になってていたんだと気付き、それからは家での勉強量を増やしました。
 
 英語長文の音読毎日、15回今までやった文法テキストの復習、発音、アクセントなどです。その結果冬期講習の最後の過去問で今まで一番高い8割程度英語が取れるようになりました。
 今思うと、ここで危機感をもって良かったと思いました。冬期講習は今までで一番つらい時期でとても悩みました。人の点数に一喜一憂したり、イライラしたり、勉強を止めたいと思ったり、極度の緊張のなかで苦しみました。しかし、諦めず頑張れたのは唱題と家族のおかげでした。唱題では11月に100万編達成したことが心の支えや自信につながりまた、家族と電話することで気が楽になりました。
 
 センター前自分でやった英語の過去問で8割とることができ、「絶対に合格してやる」と思いセンターに挑みました。しかし、自己採点では合格点に届いていませんでした。とても悔しいのと同時に焦りました。
 センター後20日間は「不安になる暇があるなら勉強」という気持ちでガムシャラに頑張りました。全学の前日には5時間唱題しました。自信を持ち全学、一般を受けました。ほぼ予備校の中でやった問題ばかりで驚きました。唱題のすごさを知りました。入試後は、点数は心配なかったが、なぜか受験番号の書き間違いをしているかもという不安がありました。
 
 合格発表日13日、不安になりながら全学統一入試の結果を見て見事受けた五つの学部全て合格していました。さらに落ちていたと思っていたセンター試験もなんと希望していた文学部に合格していました。あのときの喜びは言い表せません。一般も全て合格でした。
 私は、この受験で努力は裏切らないと確信しました。
 最後に、悩みを聞いてくれた仲間、一緒に闘った仲間、地区の方々、色々心の支えになってくれた母親、家族、創栄館の先生方、唱題100万編をやろうと決意させてくれた先輩、本当にありがとうございました。これから人間教育の最高峰、創価大学で、皆への感謝を忘れず、創栄館での濃い10か月を忘れることなく最高の人材になるように日々精進し続けます。
 
 最後に創価大学を目指そうと思っている人々にメッセージです。
私は現役で受からずに浪人して良かったと思います。浪人して人間的に成長し、勉学でも自信がつき、自信を持って大学で勉強できる基盤ができたからです。創栄館で基礎をしっかりやり、課題をこなし、毎日復習すれば必ず受かります。一つ忠告することは早い時期に勉強のスイッチを入れてほしいことです。私も皆さんと同じでした、今悩んでいる皆さん創栄館で自分が誇れる一年にしてみませんか?

大分県出身 横尾 清哉

 この度、創価大学特待生教育学部に合格することができました。ご尽力くださった創栄館の先生方、応援してくださった家族、周囲の方々に感謝申し上げます。

 私は高校1年生の3学期から高校卒業まで不登校になりました。その原因は、高校1年生の頃に担任教師に暴言を吐かれたことでした。 2年生になる頃には、その教師は他校へ赴任されましたが、本当に苦しかったのは、高校2年生からでした。

 

 高校1年生の3学期から学校へ行けなくなった私は、その休んだ約3ヶ月間で昼夜逆転の生活が習慣づいてしまい、なかなか元通りの生活、特に午前中に起きることができなくなってしまいました。

2年生の2学期には、精神科、心療内科の病院で自律神経失調症と診断されました。また、学校での人間関係は、頼れる友達がおらず、部活では、私がこんな状態になった原因を知っているにも関わらず 「サボって学校を休んでいる」 と言われ、信頼を裏切られました。

しだいに、私は家族や理解してくれていた教師以外の他人が信用できなくなり、そして怖くなり、外出する時に人とすれ違うことでさえも怖くなりました。その時私は3年生になっていました。そして3年生の6月以降、教室に入れなくなりました。またその時には病院で社会不安障害(対人恐怖症)と診断され、6月以降から卒業式前日まで別室登校という形で登校していましたが、卒業するには、単位が必要で、その単位を取るには教室の授業に出席しなければなりません。時間数の3分の2以上を補講でカバーすることしかありませんでした。補講の内容は自主学習でしたが、平日の午前11時頃から午後7時まで補講をし、なんとか卒業することができました。

 

 そんな苦しい日々の中で、創栄館の話を聞いたのは、妹が関西創価高校の受験をした時でした。偶々母が待合室で話していた人が、創栄館のことを知っていました。私はセンター試験しか受験することができなくて、勉強は、受験のためというよりも卒業するための単位をとるためにしていたので、結果はもちろん不合格でした。2月に創栄館に電話すると、塾長から 「(私の体調を)1週間で治してあげるからね」 と励ましの言葉を頂き、私はとても安心し「創栄館で一生懸命勉強して創価大学に何年かかっても絶対に合格してみせる」と思い創栄館に入学することを決意いたしました。

 

 そして3月末、私はほとんど体調が変わらぬままで、 「友達ができても高校の友達の時のように裏切られたらどうしよう」 「生活習慣が元通りになれたらいいな」 という思いを持ちながら、下関に引っ越しました。

 引っ越してから初日、不思議なことに、私は朝6時に起きることができました。それからは毎朝起きることができています。初日は、やはり他人が怖くて自分からは塾の友達に話せずにいましたが、話しかけられて話してみると普通に話せました。

 4月に入ると、授業が始まりましたが、授業の前に、皆で勤行をし、聖教新聞の「わが友に送る」「新・人間革命」を拝読して、授業が終わったら、皆で勤行をします。このことを知った時、私は、他の塾や予備校にはない最高の環境で勉強できることにうれしく思いました。そして授業では、私は文系教科が大の苦手で、受験教科は国語、現代社会、英語の3教科で全て苦手科目なので不安でしたが、最初は英語からで、中学レベルから始まったので、高校時代にほとんど授業に出ていなくてもしっかりついていけました。

しかし、それでも私にはまだ不安な点がありました。それは自宅学習でした。高校時代は同級生の学習内容についていけなかったこともあり、自宅学習はほとんどしてませんでした。なので、自宅でどのくらい勉強すればいいのかわかりませんでした。そこで創栄館の先生方に相談したところ、無理せずに、自分のできる範囲ですればいいとアドバイスをもらい、とても気が楽になりました。

 また、生活面でも初めての一人暮らしでの不安や精神面での悩みがありましたが、なんとか乗り越えながら、1年間勉強をしてきました。挫折しそうになった日も時々ありましたが、毎日の勤行、唱題で 「絶対に昨年、一昨年の状態に後戻りしない」 と決意して、毎日勉強して乗り越えてきました。

 センター試験では、1年前よりも大幅に点数がとれました。特に現代社会と英語の筆記に関しては、現代社会は36点から83点に、英語の筆記では76点から138点に点数が伸び、昨年にリベンジすることができました。

 また、全学統一入試と一般入試でも大いに満足できる結果が残せました。こんなに良い結果が出せるとは1年前の私は思いもしなかったです。特待生として創価大学に入学できたこと、創栄館という環境の良い所に来ることができたこと、とても感謝しています。

 高校時代、悲惨な状態だった私でも、1年間創栄館に通って、今は朝早く起きて有意義な毎日を過ごせています。創価大学では私の高校時代のように苦しんでいる人達を助けていけるような人材になれるよう、精一杯頑張っていきたいと思います。

皆さん本当にありがとうございました。

卒業生 山本 肇

 私は5年前、先生と約束しました。創栄館での1年間のことを書くことが、とても恥ずかしく書く気になれませんでした。それというのも、私は中学校しか出ておらず、とても大学なんかに行ける身ではありませんでした。私の家は貧しく、高校・大学なんてとんでもありませんでした。
ある時、私が会合に出ていたらたまたま木本先生にお会いすることができました。そのとき、私は何も食べておらず青い顔をしていたそうです。「君、お腹がすいているのだろう」と問いかけられ思わず「はい」と言ってしまいました。先生は私を連れて先生の自宅に招かれました。その時のことを今でも忘れません。奥さんの手料理を腹一杯ごちそうになりました。
 「君は今何をしているの?」と聞かれ「中学校を出て、今、運送屋さんで荷物の仕分けをしています」と答えるのが一生懸命でした。そのときはまだ予備校の人とは知らず、何かこの人は父親のような気がしてなりませんでした。
 
 2度目にあったのが12月の終わりごろでした。先生の自宅にお邪魔し、いつの間にか私の生い立ちを話していました。せめて高校ぐらいは行きたかった事や、勉強をしたくて今でも中学校の教科書を出して勉強していること等を話したところ、先生は英語・国語・数学の教科書を出してこられ、「これで勉強しなさい。解らない所は教室へ尋ねてきなさい」とおっしゃいました。
 
 見るもの全て新しくさっぱりわかりませんでした。英語が少しわかる程度でした。数学がさっぱり解らず創栄館を初めて訪ねました。残念ながら木本先生は出張で不在でしたが、他の先生が出てこられ「ああ君か、聞いているよ」と言われ、分からない所を全て教えてくださいました。
 
 年末、木本先生から呼び出され「君、大学に行く気はないか」と切り出されました。いきなりのことで目が飛び出しそうになり、腰が抜けそうになりました。しかし、先生は本気です。
「先生、僕にはお金がありません。高校にも行っていません。」
すると先生は真顔で
「高校や大学は金が有り余っていくところではないよ。苦労して行く所に意味があるんだよ。そうすれば必ず人材になれる。素晴らしい人間になれる。」
その言葉がとても新鮮に聞こえました。僕は先生に全てを賭けてみたいと思いました。ですが、大学に行く財力が私の家にはない事ぐらい自分が一番よく知っています。
先生が自宅に来られ、母と私を交え真剣な話し合いをしました。
大学は何のために行くのか。大学卒業後何になりたいのか。どんな人材になりたいのか等、話し合いが終わったのは朝方でした。母は納得してくれたのですが、お金の面で躊躇していました。アルバイトをしてでも大学に行きたいと母に伝えると、母はやっと承諾してくれました。私は決意しました。
「絶対に創大に行く」と。
 
年間のスケジュール表が渡されました。7月までに高卒認定卒業、12月中に高校卒業程度終了となっていました。
私は先々の不安でいっぱいでした。そんな私を見て先生は「先生の指示通りにしなさい。そうすれば必ず合格するように力をつけてみせます。」とおっしゃいました。先生のその言葉を信じました。
それから毎日猛勉強でした。朝、家を出る前、母と弟と3人で勤行・唱題を心ゆくまで題目を上げ、一日の出発です。母はからだが弱く、弟は小学4年生です。私が倒れると家庭は成り立ちません。創栄館にもお金を払わなくてはいけません。
「月謝はいくらですか」と尋ねたところ会計の方は答えてくれません。木本先生に聞くと「そうだな。いくら払える」と逆に聞かれる始末。「3万円しか払えません」と言うと、先生は笑いながら「いいよ、それで。」・・・決定です。しかし、まさかこのお金を全額郵便貯金していただいていたとは知りませんでした。
 
大学合格通知が届いたとき、貯金通帳と印鑑・カードを渡され、中を見てびっくりしました。今まで支払った授業料全てが貯金されていました。涙が出て止まりませんでした。
「このお金でお母さんと一緒に入学式に行きなさい」
と先生がおっしゃいました。
さらに、その後、入学金・入学後の必要経費全ての段取りまでして下さり、晴れて母と弟と3人で入学式に出席することができました。本当にありがとうございました。先生に会えての私の人生です。見事に花開きました。創栄館の1年間はとても素晴らしく、苦しい中に楽しい日々で充実した1年間でした。
現在、私は創大卒業後、違う大学で先生と約束した通り世界を駆けまわる人材に成長するため、今、学と人格を磨き鍛えています。先生と約束した通り、人のために尽くすことのできる人間になれるよう自分を磨いています。
先生、いつまでもお元気で人材を作り上げてください。
 
令和元年10月1日
山本 肇
 
株式会社創栄
〒751-0833
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TEL:083-254-2327
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